★★★☆☆
いつだったか、『〜の文化史』というタイトルの本がブームになった時期がある。この本の初版は昭和51年で、そのブームに乗ったものかどうかは分からない。和紙がユネスコの無形遺産に登録されるそうだが、登録は消滅の危機の裏返しでもあり、一概に良い話だとは言えない。我々が和紙っぽいものに触れる機会は、特に習わない限り、既に学校の習字程度に限られているのが現実だ。
この『和紙の文化史』は日常から消えた「和紙」について、一通り記す本である。中国からの伝来に始まり、古代→中世→近世→近代と一応時系列で和紙の歴史を追っている。が、生産地とリンクさせて話を展開しようとするときがあるため、時々、時代が前後する。また、万遍なく和紙とその生産地について「紹介」しようとして、地名や紙名の羅列が続くなど、読み物としてはやや退屈な部分がある。それでも、「和紙」だけに絞って広範且つほぼ全ての時代を網羅しているから、「和紙」について数歩踏み込んで知りたい人には良いだろう。
個人的に興味深かったのは、西国の請紙制である。石高に応じて米の代わりに紙を納める制度で、必ず上納する義務があった。この負担は大きく、「紙一揆」という「紙」が要因の百姓一揆が起きている。その一揆の発生件数は、慶長三年から弘化三年までの間、萩22、高知8、徳山5と萩藩の多さが目立つ。これは関ケ原後の領国削減が関係するのかと思ったが、最初の紙一揆は関ケ原より前の慶長三(1598)年に起きているので、違うようだ。
百姓は藩による「専売」にも抵抗していて、宝暦十年以降、土佐藩は一定の上納があれば、自由な販売を認めたりもしている。ただ、その後再び統制が強化されて自由な販売ができなくなると、紙漉きの百姓らは伊予に逃散している。このように土佐藩は百姓等と妥協した時期があるが、防・長両国の藩はずっと専売制を維持している。紙が大事な藩の収入源であったからだ。
巻末には附録として「和紙にちなむ地名」と「昭和3年と昭和48年の手漉き製造地の比較」も載っている。現状はさらに変わってしまっているという点からも読める本である。
2014年11月03日
2014年03月21日
『夏目漱石とジャパノロジー伝説』「日本学の父」は門下のロシア人・エリセーエフ 倉田保雄
★★☆☆☆
帯:漱石門下・碧い目の元禄男ーライシャワー元大使ら、多くのジャパノロジスト(日本学者)を育てたセルゲイ・エリセーエフ。その、劇的な人生を追う!
セルゲイ・エリセーエフの子息達が『日本文明論』という本を著している。高いので、中古でその本を探しているときにこの『夏目漱石と〜』という書名が引っ掛かったため、入手して読んだ。理由は単純で、タイトルに「夏目漱石」がいたから、である。
日本の大学に西洋史や英文学を学ぶ学科があるように、他国の大学にも東洋、アジアの一枠として「日本」の歴史や文学を学ぶ場がある。学ぶ場には教える人が必要である。アメリカのハーバード大学で日本学を教授した泰斗?は、このロシア人のセルゲイ(セルジュ)・エリセーエフである。
どうして、ロシア人がアメリカの大学で日本について教えたのか?
それはエリセーエフがロシア人でありながら、東京帝大に正式に入学して日本文学他について学び、芭蕉の論文で博士号も取得した学者だったからである。
エリセーエフが日本の大学に入った理由や、ロシア人なのに仏語呼びのセルジュという名を持つのか、についてはwikiなどでも確認できるので割愛する。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%95
wikiの記事が元ネタとしている二冊は、両方ともこの著者の本である。wikiでも要出典とあるが、神田神保町の古書店街が空襲にあわなかったのはエリセーエフの進言があったからである、との主張がこの本には載せられている。著者は最後に「神田神保町の救世主伝説」との目次をつけて、この伝説を紹介しているが、ここで疑問なのは、エリセーエフにインタビューしているのに、どうして当人に確認を取っていないのか?という点である。著者はフランスで晩年を過ごしているエリセーエフに直に会っている。エリセーエフは江戸弁がすっと出るほど流暢に日本語が話せた。そのとき、神田神保町の件についても当人に聞けばいいのに、その件について何も言及されていないのだ。聞いても話してくれなかったのかもしれないが、著者は元ジャーナリストなのだ。だったら聞いても教えてくれなかった、と一言あってもいいのではないか。
これでは、救世主伝説はいつまで経っても伝説?になってしまう。
また、タイトルにある「夏目漱石」には実はちょっぴりしか出番がない。エリセーエフは親友の小宮豊隆と共に漱石の木曜会に出入りし、漱石に俳句を書いて貰ったりもして交流があったのは確かだが、タイトルほど漱石はこの本に顔を出さないのだ。ただ、エリセーエフが漱石とその作品を敬愛していたのは間違いなく、彼は革命後のロシアで逮捕拘留された折、漱石の著書を牢獄に持ち込んで読んでいる。漱石との関係で朝日に寄稿もしている。しかし、帯の「門下」という表現はちょっと言い過ぎかな、とも思う。
ので、漱石の部分に期待するとアテが外れるのでご注意を。
それでも、他にエリセーエフと漱石についての本はないため、少しでもいいという人にはおススメである。
帯:漱石門下・碧い目の元禄男ーライシャワー元大使ら、多くのジャパノロジスト(日本学者)を育てたセルゲイ・エリセーエフ。その、劇的な人生を追う!
セルゲイ・エリセーエフの子息達が『日本文明論』という本を著している。高いので、中古でその本を探しているときにこの『夏目漱石と〜』という書名が引っ掛かったため、入手して読んだ。理由は単純で、タイトルに「夏目漱石」がいたから、である。
日本の大学に西洋史や英文学を学ぶ学科があるように、他国の大学にも東洋、アジアの一枠として「日本」の歴史や文学を学ぶ場がある。学ぶ場には教える人が必要である。アメリカのハーバード大学で日本学を教授した泰斗?は、このロシア人のセルゲイ(セルジュ)・エリセーエフである。
どうして、ロシア人がアメリカの大学で日本について教えたのか?
それはエリセーエフがロシア人でありながら、東京帝大に正式に入学して日本文学他について学び、芭蕉の論文で博士号も取得した学者だったからである。
エリセーエフが日本の大学に入った理由や、ロシア人なのに仏語呼びのセルジュという名を持つのか、についてはwikiなどでも確認できるので割愛する。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%95
wikiの記事が元ネタとしている二冊は、両方ともこの著者の本である。wikiでも要出典とあるが、神田神保町の古書店街が空襲にあわなかったのはエリセーエフの進言があったからである、との主張がこの本には載せられている。著者は最後に「神田神保町の救世主伝説」との目次をつけて、この伝説を紹介しているが、ここで疑問なのは、エリセーエフにインタビューしているのに、どうして当人に確認を取っていないのか?という点である。著者はフランスで晩年を過ごしているエリセーエフに直に会っている。エリセーエフは江戸弁がすっと出るほど流暢に日本語が話せた。そのとき、神田神保町の件についても当人に聞けばいいのに、その件について何も言及されていないのだ。聞いても話してくれなかったのかもしれないが、著者は元ジャーナリストなのだ。だったら聞いても教えてくれなかった、と一言あってもいいのではないか。
これでは、救世主伝説はいつまで経っても伝説?になってしまう。
また、タイトルにある「夏目漱石」には実はちょっぴりしか出番がない。エリセーエフは親友の小宮豊隆と共に漱石の木曜会に出入りし、漱石に俳句を書いて貰ったりもして交流があったのは確かだが、タイトルほど漱石はこの本に顔を出さないのだ。ただ、エリセーエフが漱石とその作品を敬愛していたのは間違いなく、彼は革命後のロシアで逮捕拘留された折、漱石の著書を牢獄に持ち込んで読んでいる。漱石との関係で朝日に寄稿もしている。しかし、帯の「門下」という表現はちょっと言い過ぎかな、とも思う。
ので、漱石の部分に期待するとアテが外れるのでご注意を。
それでも、他にエリセーエフと漱石についての本はないため、少しでもいいという人にはおススメである。
2013年02月11日
『香薬東西』 山田憲太郎
★★★☆☆
1980年に出された本を改装して2011年に出し直した本なので、内容は新しくない。しかし、古今東西における「スパイス」「香料」について幅広く取り扱っており、出版年の割には新鮮みのある内容であった。
大航海時代のヨーロッパ人が「スパイス」を求めてアジアに進出した話がメインかと思いきや、それなりの分量が「香料」に割かれている。
日本や中国で「香り」のもとといえば「香木」であるが、インド以西では様々な木だけではなく、動物の分泌物から得られる香りを貴重なものとしていた。
分かり易い例としては「麝香」がある。「麝香(じゃこう)」はムスクと言った方が通りがいいかもしれない。薬としても用いられるが、量が手に入り辛いため現在でも合成品が香水等で使われている。では、何からこの香りの源が採取されるか、といえば、「麝」の字が「鹿」に「射」である点から推測できるだろう。
大航海時代とスパイスの関係をめぐる話題は珍しくないが、この本では中国と胡椒の関係に触れている点が興味深い。実は、ヨーロッパ以上に中国は東南アジアから胡椒を買い付けていたのだ。ヨーロッパと違い、胡椒は中国の歴史を揺るがしたりはしなかったから、特に取り上げられて来なかったが、この指摘はなかなか新鮮だった。
著者は既に故人である。
本の中で著者はインドや東南アジアを実際に巡って、当時の遺跡を辿りつつ、スパイスのルートについて述べていく。そこに描写されるアジアの光景は昭和四、五十年代のものであり、その描写そのものに歴史的な味わいがあるのも面白い本でもある。
1980年に出された本を改装して2011年に出し直した本なので、内容は新しくない。しかし、古今東西における「スパイス」「香料」について幅広く取り扱っており、出版年の割には新鮮みのある内容であった。
大航海時代のヨーロッパ人が「スパイス」を求めてアジアに進出した話がメインかと思いきや、それなりの分量が「香料」に割かれている。
日本や中国で「香り」のもとといえば「香木」であるが、インド以西では様々な木だけではなく、動物の分泌物から得られる香りを貴重なものとしていた。
分かり易い例としては「麝香」がある。「麝香(じゃこう)」はムスクと言った方が通りがいいかもしれない。薬としても用いられるが、量が手に入り辛いため現在でも合成品が香水等で使われている。では、何からこの香りの源が採取されるか、といえば、「麝」の字が「鹿」に「射」である点から推測できるだろう。
大航海時代とスパイスの関係をめぐる話題は珍しくないが、この本では中国と胡椒の関係に触れている点が興味深い。実は、ヨーロッパ以上に中国は東南アジアから胡椒を買い付けていたのだ。ヨーロッパと違い、胡椒は中国の歴史を揺るがしたりはしなかったから、特に取り上げられて来なかったが、この指摘はなかなか新鮮だった。
著者は既に故人である。
本の中で著者はインドや東南アジアを実際に巡って、当時の遺跡を辿りつつ、スパイスのルートについて述べていく。そこに描写されるアジアの光景は昭和四、五十年代のものであり、その描写そのものに歴史的な味わいがあるのも面白い本でもある。
2012年08月31日
『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』 マーク・R・マリンズ
★★☆☆☆
日本在住のアメリカ人研究者による「日本産キリスト教」についての本である。
キリスト教はおおざっぱに「カトリック」「東方正教」「プロテスタント」に分類できるが、この3つの勢力は中で更に幾つもの宗派に分かれている。これは日本の仏教でも同じであり、どんな宗教でも人数が増えれば、必然的に幾つもの分派ができていく。この本では日本で形成されたキリスト教の一派とキリスト教っぽい宗教団体の創始者、形成過程、現状などが紹介されている。文章は読みにくい。欧米の研究者によくある、前提の長ーい説明が最初うだうだと続く。
日本にキリスト教が伝来したのは戦国時代だが、その後の弾圧でごく一部の隠れキリシタンを除けば日本にキリスト教徒はいなかった。明治に入ると、欧米のキリスト教諸集団は日本に再度キリスト教を伝導した。戦国時代のキリスト教はカトリックのみであったが、今度はプロテスタントや東方正教も伝道者を派遣した。
しかし、近代の日本では戦国時代以上にキリスト教の信者が増えなかった。特にプロテスタントは苦戦した。何故なら、プロテスタントへ改宗する際には、「先祖の位牌や仏壇を破棄」することを伝導師たちが改宗者に強制したからだ。カトリックは祖先崇拝とリンクした宗教形態であるので、このような問題は生じない。恐らく、戦国時代にカトリック信者が増えたのにはこの理由もあるだろう。
また、キリスト教は西アジアの砂漠で誕生し、地中海沿岸で成立した宗教である。日本とは全く縁のない地で始まり、広まった宗教であるため、聖書をいくら読んでも、日本との「繋がり」は無だ。欧米の伝道者たちは、日本のそれまでの宗教や文化を全て否定した。彼らにとって、日本の古来からの文化なぞ何の価値もない、断絶すべき非キリスト教的なものであった。
ために、キリスト教に改宗した日本人は、明治→大正→昭和のナショナリズムが高揚したときに、そうではない、と白人の伝道師に反発する。
有名どころを上げるなら、内村鑑三がそうだ。
内村鑑三は聖書に依拠しながら儒教的キリスト教を唱え、独自の宗教団体「無教会」を結成する。他にも、村松介石の道会、川合信水の基督心宗教団、杉田好太郎の栄光の福音キリスト教団、松原和人の活けるキリスト一麦教会、谷口とくの基督教カナン教団、大槻武二の聖イエス会など、日本人が日本の文化や風土との融合に苦慮・考慮して作り出した独自の「土着化したキリスト教」が現れる。
キリスト教を称しながらも新興宗教団体に近い教団も存在するが、大半がカリスマ的な指導者によって始められている。ただ、そのように日本製キリスト教が増えても、日本のキリスト教徒は増えない。全体の1%少しの人数のままだ。
著者はその理由に、上記のような伝道師の日本文化への無理解と禁教中の弊害を上げる。江戸時代にキリスト教はお上に逆らう悪者だったため、今でもキリスト教には悪いイメージがあるからだというのだ。しかし、最近は教会で式を挙げ、クリスマスを楽しむようになって、先ず「宗教儀式」から入っていく日本人に儀式としてキリスト教は浸透しつつあるから、今後は増えるかもしれない、と著者はキリスト教徒として希望的観測をしているが、さて、どうだろうか。
欧米の思想家の中には、「キリスト教やイスラム教などの一神教はもうダメだ」との本を出すような人もいる。この本は2005年発行だが、9・11やイスラム教に関しては何も触れていない。ひたすら、日本の近代のキリスト教の変容について書いている。日本と比較するために、韓国のキリスト教についても触れている。韓国は日本と違ってキリスト教信者が全体の四割を占めているが、実は、その何割かは、日本と同様の「土着的キリスト教」であって、祖先崇拝を否定していないから、信者獲得に成功しているようだ。
正直、読み辛い研究本であるが、日本人のらしさと文化を如何にキリスト教の教えで肯定していくか、と苦闘する内村鑑三をはじめとする日本人改宗者各人の描写はなかなか興味深かった。
日本在住のアメリカ人研究者による「日本産キリスト教」についての本である。
キリスト教はおおざっぱに「カトリック」「東方正教」「プロテスタント」に分類できるが、この3つの勢力は中で更に幾つもの宗派に分かれている。これは日本の仏教でも同じであり、どんな宗教でも人数が増えれば、必然的に幾つもの分派ができていく。この本では日本で形成されたキリスト教の一派とキリスト教っぽい宗教団体の創始者、形成過程、現状などが紹介されている。文章は読みにくい。欧米の研究者によくある、前提の長ーい説明が最初うだうだと続く。
日本にキリスト教が伝来したのは戦国時代だが、その後の弾圧でごく一部の隠れキリシタンを除けば日本にキリスト教徒はいなかった。明治に入ると、欧米のキリスト教諸集団は日本に再度キリスト教を伝導した。戦国時代のキリスト教はカトリックのみであったが、今度はプロテスタントや東方正教も伝道者を派遣した。
しかし、近代の日本では戦国時代以上にキリスト教の信者が増えなかった。特にプロテスタントは苦戦した。何故なら、プロテスタントへ改宗する際には、「先祖の位牌や仏壇を破棄」することを伝導師たちが改宗者に強制したからだ。カトリックは祖先崇拝とリンクした宗教形態であるので、このような問題は生じない。恐らく、戦国時代にカトリック信者が増えたのにはこの理由もあるだろう。
また、キリスト教は西アジアの砂漠で誕生し、地中海沿岸で成立した宗教である。日本とは全く縁のない地で始まり、広まった宗教であるため、聖書をいくら読んでも、日本との「繋がり」は無だ。欧米の伝道者たちは、日本のそれまでの宗教や文化を全て否定した。彼らにとって、日本の古来からの文化なぞ何の価値もない、断絶すべき非キリスト教的なものであった。
ために、キリスト教に改宗した日本人は、明治→大正→昭和のナショナリズムが高揚したときに、そうではない、と白人の伝道師に反発する。
有名どころを上げるなら、内村鑑三がそうだ。
内村鑑三は聖書に依拠しながら儒教的キリスト教を唱え、独自の宗教団体「無教会」を結成する。他にも、村松介石の道会、川合信水の基督心宗教団、杉田好太郎の栄光の福音キリスト教団、松原和人の活けるキリスト一麦教会、谷口とくの基督教カナン教団、大槻武二の聖イエス会など、日本人が日本の文化や風土との融合に苦慮・考慮して作り出した独自の「土着化したキリスト教」が現れる。
キリスト教を称しながらも新興宗教団体に近い教団も存在するが、大半がカリスマ的な指導者によって始められている。ただ、そのように日本製キリスト教が増えても、日本のキリスト教徒は増えない。全体の1%少しの人数のままだ。
著者はその理由に、上記のような伝道師の日本文化への無理解と禁教中の弊害を上げる。江戸時代にキリスト教はお上に逆らう悪者だったため、今でもキリスト教には悪いイメージがあるからだというのだ。しかし、最近は教会で式を挙げ、クリスマスを楽しむようになって、先ず「宗教儀式」から入っていく日本人に儀式としてキリスト教は浸透しつつあるから、今後は増えるかもしれない、と著者はキリスト教徒として希望的観測をしているが、さて、どうだろうか。
欧米の思想家の中には、「キリスト教やイスラム教などの一神教はもうダメだ」との本を出すような人もいる。この本は2005年発行だが、9・11やイスラム教に関しては何も触れていない。ひたすら、日本の近代のキリスト教の変容について書いている。日本と比較するために、韓国のキリスト教についても触れている。韓国は日本と違ってキリスト教信者が全体の四割を占めているが、実は、その何割かは、日本と同様の「土着的キリスト教」であって、祖先崇拝を否定していないから、信者獲得に成功しているようだ。
正直、読み辛い研究本であるが、日本人のらしさと文化を如何にキリスト教の教えで肯定していくか、と苦闘する内村鑑三をはじめとする日本人改宗者各人の描写はなかなか興味深かった。
2012年03月04日
『円珍』 佐伯有清
★★★☆☆
古本購入した人物叢書である。
円珍と言えば園城寺(三井寺)しか知らないな、と思い、古本市で比較的綺麗であったこの本を手に取った。
そして、読んでみて分かったのは、円珍という僧侶は空海とは親戚の間柄であり、彼の唐留学には「藤原良房」の存在が大きかったこと、円珍自身は師として円仁を慕っていたこと、彼の時代に延暦寺と園城寺の対立は「無い」ことであった。
特に最後の二つの事実は、その後の円珍派(園城寺)と円仁派(延暦寺)の相克の深さを知っているだけに意外であった。円珍は死ぬまで延暦寺の座主(トップ)であり、実際のところ、それほど園城寺との関わりは深くない。しかし、園城寺には彼の資料がたくさん残されている。園城寺は何度も火災に遭っているのだが、僧徒らはその資料を千年以上にわたって守り抜いた。資料の中には、円珍が唐に渡った際に発行された唐側の文書も含まれている。(中国には残っていない非常に重要な資料)それ以外にも、貴重な文書が園城寺には多数あるのだが、それは園城寺勢力が円珍を寄るべき人物として大事にしていた事実と、円珍以外に寄るべき対象がいなかった事実を表しているように思われる。
円珍は僧侶(学者)としても才能のある人物であったが、彼の出世や栄達には「藤原摂関家」が大きく関わっている。中央の政治と密接に繋がり、それを背景として唐に渡り、比叡山の座主になった彼の立場は、その後の延暦寺の流れでもある。都に近いが故に、延暦寺と中央政界の関係は深い。江戸に幕府が成立するまで、比叡山は俗界と表裏一体の寺であり、仏教界の権威であった。円珍は恐らくその先達である。
また、残された文書から、円珍の「性格」も垣間見える。正直、僧侶としてはどうかと思うのだが、この人は相手を批判する際の悪口に容赦がない。いわゆる、舌鋒鋭いタイプで、自分の考えとは「合わない」論や人はけちょんけちょんにけなす。それでも、年をとってからは反省して、言葉で相手をけなすことは止めたらしい。が、その分、文書での悪口っぷりには拍車がかかっている。
人間味があって面白いといえば面白いのだが、「高僧」とは呼べないと思う。
比叡山延暦寺といえば、開祖は最澄である。
円珍は当初「大日経」を第一としていたのだが、途中から最澄が主張していた「法華経」へと乗り換える。最澄は「一切衆生悉有仏性」と「国家を守護し、群生を利益すべし」を掲げていた。しかし、円珍の思想からは「群生を利益すべし」という部分が消え、「国家を守護」だけが残る。「護国」だけが残ったのは、やはり、中央政界との繋がりが深いためであったのだろう。群生(=民)と国家の利益は、権力者側に立った円珍の中では、併存しなかったようだ。
そして、この部分を後で引き継ぎ、円珍と似た舌鋒で法華経以外を口撃するのが、延暦寺出身の日蓮であるなら、日蓮という個性が叡山から出たのも当然だと言えるのかもしれない。
古本購入した人物叢書である。
円珍と言えば園城寺(三井寺)しか知らないな、と思い、古本市で比較的綺麗であったこの本を手に取った。
そして、読んでみて分かったのは、円珍という僧侶は空海とは親戚の間柄であり、彼の唐留学には「藤原良房」の存在が大きかったこと、円珍自身は師として円仁を慕っていたこと、彼の時代に延暦寺と園城寺の対立は「無い」ことであった。
特に最後の二つの事実は、その後の円珍派(園城寺)と円仁派(延暦寺)の相克の深さを知っているだけに意外であった。円珍は死ぬまで延暦寺の座主(トップ)であり、実際のところ、それほど園城寺との関わりは深くない。しかし、園城寺には彼の資料がたくさん残されている。園城寺は何度も火災に遭っているのだが、僧徒らはその資料を千年以上にわたって守り抜いた。資料の中には、円珍が唐に渡った際に発行された唐側の文書も含まれている。(中国には残っていない非常に重要な資料)それ以外にも、貴重な文書が園城寺には多数あるのだが、それは園城寺勢力が円珍を寄るべき人物として大事にしていた事実と、円珍以外に寄るべき対象がいなかった事実を表しているように思われる。
円珍は僧侶(学者)としても才能のある人物であったが、彼の出世や栄達には「藤原摂関家」が大きく関わっている。中央の政治と密接に繋がり、それを背景として唐に渡り、比叡山の座主になった彼の立場は、その後の延暦寺の流れでもある。都に近いが故に、延暦寺と中央政界の関係は深い。江戸に幕府が成立するまで、比叡山は俗界と表裏一体の寺であり、仏教界の権威であった。円珍は恐らくその先達である。
また、残された文書から、円珍の「性格」も垣間見える。正直、僧侶としてはどうかと思うのだが、この人は相手を批判する際の悪口に容赦がない。いわゆる、舌鋒鋭いタイプで、自分の考えとは「合わない」論や人はけちょんけちょんにけなす。それでも、年をとってからは反省して、言葉で相手をけなすことは止めたらしい。が、その分、文書での悪口っぷりには拍車がかかっている。
人間味があって面白いといえば面白いのだが、「高僧」とは呼べないと思う。
比叡山延暦寺といえば、開祖は最澄である。
円珍は当初「大日経」を第一としていたのだが、途中から最澄が主張していた「法華経」へと乗り換える。最澄は「一切衆生悉有仏性」と「国家を守護し、群生を利益すべし」を掲げていた。しかし、円珍の思想からは「群生を利益すべし」という部分が消え、「国家を守護」だけが残る。「護国」だけが残ったのは、やはり、中央政界との繋がりが深いためであったのだろう。群生(=民)と国家の利益は、権力者側に立った円珍の中では、併存しなかったようだ。
そして、この部分を後で引き継ぎ、円珍と似た舌鋒で法華経以外を口撃するのが、延暦寺出身の日蓮であるなら、日蓮という個性が叡山から出たのも当然だと言えるのかもしれない。
2011年12月17日
『法然の編集力』 松岡正剛
★★★☆☆
東京で「法然と親鸞」の展示を見る前に本屋で見かけて、「法然と親鸞」を見終わってから購入した本である。松岡正剛氏が法然の絵巻を紹介する番組に出ていたのは、たまたま見かけて知っていたが、本も出していたとは知らなかった。
今年は法然上人遠忌八百年である。
弟子の親鸞も遠忌七百五十年であるため、国立博物館の「法然と親鸞」展示があったのだ。
実は、実家が浄土宗であるので、葬式や年忌のたびに「南無阿弥陀仏」は唱えている。日本史でも強制的に鎌倉仏教は覚えさせられたため、法然と親鸞の名には馴染みがある。ただ、世間では今まで「弟子」の親鸞の方が研究対象としても注目度が高かったようだが、近年は、「師」である法然の方にもようやくスポットがあてられているらしい。
私なぞは、「師」なのだから法然の方が上だろうと単純に思っていた。しかし、浄土真宗の信者が多いせいか、世間的には親鸞の方が評価が高かったのだ。
松岡正剛氏は、法然がどうして「南無阿弥陀仏」を選択できたのか。
その一点に焦点を絞って、この本で検討している。カラーで法然上人の国宝絵巻も掲載&解説されており、前にあった放送に合わせての出版だったようだ。
法然の凄いところは、「南無阿弥陀仏」に仏の教え救いともに集約した上に、それを定着させてしまった点にある。そして、彼以後、この革新を超える変革は、日本の仏教界に起きていない。
親鸞の「悪人正機」も、実は法然が先に唱えていたことであり、親鸞だけのオリジナルではないのだ。弟子は師の思想をより深め、師よりも多くの信者を獲得したが、師ほどの変革者ではない。
では、どうして、法然は日本仏教界の「革新」者となれたのか。
著者は、法然の生涯を追いながら、その理由を探っている。
親鸞を超える法然の凄さを「分かり易く」知るには、よい本であろう。
(松岡正剛氏にしては、いつもより読み易い書き方になっている)
東京で「法然と親鸞」の展示を見る前に本屋で見かけて、「法然と親鸞」を見終わってから購入した本である。松岡正剛氏が法然の絵巻を紹介する番組に出ていたのは、たまたま見かけて知っていたが、本も出していたとは知らなかった。
今年は法然上人遠忌八百年である。
弟子の親鸞も遠忌七百五十年であるため、国立博物館の「法然と親鸞」展示があったのだ。
実は、実家が浄土宗であるので、葬式や年忌のたびに「南無阿弥陀仏」は唱えている。日本史でも強制的に鎌倉仏教は覚えさせられたため、法然と親鸞の名には馴染みがある。ただ、世間では今まで「弟子」の親鸞の方が研究対象としても注目度が高かったようだが、近年は、「師」である法然の方にもようやくスポットがあてられているらしい。
私なぞは、「師」なのだから法然の方が上だろうと単純に思っていた。しかし、浄土真宗の信者が多いせいか、世間的には親鸞の方が評価が高かったのだ。
松岡正剛氏は、法然がどうして「南無阿弥陀仏」を選択できたのか。
その一点に焦点を絞って、この本で検討している。カラーで法然上人の国宝絵巻も掲載&解説されており、前にあった放送に合わせての出版だったようだ。
法然の凄いところは、「南無阿弥陀仏」に仏の教え救いともに集約した上に、それを定着させてしまった点にある。そして、彼以後、この革新を超える変革は、日本の仏教界に起きていない。
親鸞の「悪人正機」も、実は法然が先に唱えていたことであり、親鸞だけのオリジナルではないのだ。弟子は師の思想をより深め、師よりも多くの信者を獲得したが、師ほどの変革者ではない。
では、どうして、法然は日本仏教界の「革新」者となれたのか。
著者は、法然の生涯を追いながら、その理由を探っている。
親鸞を超える法然の凄さを「分かり易く」知るには、よい本であろう。
(松岡正剛氏にしては、いつもより読み易い書き方になっている)
2011年08月21日
『恋する物語のホモセクシャリティ』宮廷社会と権力 木村朗子
★★★☆☆
タイトルからして一般向けではないが、内容も研究論文を多少易しくしたもので、読みやすいとは言い難い。
現在の社会においては、異性愛が正常とされ、それ以外は異常とされているが、日本は結構最近まで(明治に入るくらいまで)、同性愛もそんなに異常視はされていなかった。
日本中世史に関する本を読んでいると、特にここ最近は男色という言葉がごく普通に出て来るようになった。日常的にあって、特殊性癖でも何でもないものであるため、資料にも当たり前に載っているからだ。
実は、性癖の正否を決めるのは個人ではなく、社会規範なのだ。今は社会規範が「異性愛のみを正常」としているため、それ以外が異常となる。キリスト教やイスラームなどの同性愛タブーがない日本の歴史を見ると、それがよく分かる。
この本はそうしたセクシャリティの問題を、平安から鎌倉期の宮廷文学をもとに取り上げ、検討している。そして、そこからあぶり出されてくるのは、権力と密接に関わってくる性愛だ。
摂関政治を見れば分かるように、天皇に嫁がせた娘が皇位継承者を生むか生まないかが、権力を掌握できるかできないか、を決める。子供はセックスをしないとできない。つまり、「性」が国家権力を左右するのだ。
そこに絡む同性愛込みの性愛と階級格差、そしてその展開と変遷について、『とりかえばや』『夜の寝覚』『石清水物語』などを用いて、著者は読み込んでいく。
近代国家は欧米で成立したこともあり、基本的に「異性愛を正常」とする。
これは国民国家においては、国民が「戦力と経済基盤」であるため、子供が増えない性愛は国家にとって都合が悪いからだ。キリスト教とイスラームで同性愛タブーがあるのも、両者がもともと砂漠地帯に成立した宗教で、子供を増やさないと滅亡に繋がる危機感が高いためだろう。
つまり、これまで個人の嗜好と思われていた範囲にも、深く国家や社会の都合が浸透しているのだ。
古文の引用には訳が大概付いているため、その点の読み辛さ心配はないが、寧ろセクシャリティの分野で深く踏み込んでいて難解な部分があるかもしれない。
ただ、こういう視点から歴史や文学を読み込んでいく方法もあると知っておくのに、良い本である。
タイトルからして一般向けではないが、内容も研究論文を多少易しくしたもので、読みやすいとは言い難い。
現在の社会においては、異性愛が正常とされ、それ以外は異常とされているが、日本は結構最近まで(明治に入るくらいまで)、同性愛もそんなに異常視はされていなかった。
日本中世史に関する本を読んでいると、特にここ最近は男色という言葉がごく普通に出て来るようになった。日常的にあって、特殊性癖でも何でもないものであるため、資料にも当たり前に載っているからだ。
実は、性癖の正否を決めるのは個人ではなく、社会規範なのだ。今は社会規範が「異性愛のみを正常」としているため、それ以外が異常となる。キリスト教やイスラームなどの同性愛タブーがない日本の歴史を見ると、それがよく分かる。
この本はそうしたセクシャリティの問題を、平安から鎌倉期の宮廷文学をもとに取り上げ、検討している。そして、そこからあぶり出されてくるのは、権力と密接に関わってくる性愛だ。
摂関政治を見れば分かるように、天皇に嫁がせた娘が皇位継承者を生むか生まないかが、権力を掌握できるかできないか、を決める。子供はセックスをしないとできない。つまり、「性」が国家権力を左右するのだ。
そこに絡む同性愛込みの性愛と階級格差、そしてその展開と変遷について、『とりかえばや』『夜の寝覚』『石清水物語』などを用いて、著者は読み込んでいく。
近代国家は欧米で成立したこともあり、基本的に「異性愛を正常」とする。
これは国民国家においては、国民が「戦力と経済基盤」であるため、子供が増えない性愛は国家にとって都合が悪いからだ。キリスト教とイスラームで同性愛タブーがあるのも、両者がもともと砂漠地帯に成立した宗教で、子供を増やさないと滅亡に繋がる危機感が高いためだろう。
つまり、これまで個人の嗜好と思われていた範囲にも、深く国家や社会の都合が浸透しているのだ。
古文の引用には訳が大概付いているため、その点の読み辛さ心配はないが、寧ろセクシャリティの分野で深く踏み込んでいて難解な部分があるかもしれない。
ただ、こういう視点から歴史や文学を読み込んでいく方法もあると知っておくのに、良い本である。
2011年06月19日
『縞のミステリー』 竹原あき子
★★★☆☆
工業デザイナーによる「縞」をめぐるエッセイである。
ただ、「縞」は「縞」でも、その重点は江戸時代に流行した木綿の、着物の「縞」に置かれている。
着物の「縞」といえば、粋でいなせの象徴である。
その渋い色合いを、現代人が着こなすのはなかなか難しい。
江戸時代以前、古代や中世の日本には、「縞」模様はあまり見られない。
では、どうして、その「縞」が生まれ、江戸時代に一般化したのか。
日本に「縞」がもたらされたルーツはどこにあるのか。
エッセイではあるが、その行く先はアジアからヨーロッパ、イスラーム世界、アフリカと広く、深い。
思想、宗教、産業、デザイン、伝統などあらゆる事柄を網羅していながら、読み口は軽く、分かりやすい。
ただ、多少の世界史、日本史、文化、宗教の知識がある方が、より一層、「縞」の奥深さが理解できるだろう。
よくあることがだ、単純に見える事柄こそ、「奥」は異常に深く、探索するとキリがない。
色の違う縦糸と横糸を織れば、それだけで出来あがる「縞」模様の「奥行き」も、<果て>は遥かに遠いのだな、とこの本を読んで思った。
工業デザイナーによる「縞」をめぐるエッセイである。
ただ、「縞」は「縞」でも、その重点は江戸時代に流行した木綿の、着物の「縞」に置かれている。
着物の「縞」といえば、粋でいなせの象徴である。
その渋い色合いを、現代人が着こなすのはなかなか難しい。
江戸時代以前、古代や中世の日本には、「縞」模様はあまり見られない。
では、どうして、その「縞」が生まれ、江戸時代に一般化したのか。
日本に「縞」がもたらされたルーツはどこにあるのか。
エッセイではあるが、その行く先はアジアからヨーロッパ、イスラーム世界、アフリカと広く、深い。
思想、宗教、産業、デザイン、伝統などあらゆる事柄を網羅していながら、読み口は軽く、分かりやすい。
ただ、多少の世界史、日本史、文化、宗教の知識がある方が、より一層、「縞」の奥深さが理解できるだろう。
よくあることがだ、単純に見える事柄こそ、「奥」は異常に深く、探索するとキリがない。
色の違う縦糸と横糸を織れば、それだけで出来あがる「縞」模様の「奥行き」も、<果て>は遥かに遠いのだな、とこの本を読んで思った。
2011年04月22日
『白の民俗学へ』白山信仰の謎を追って 前田速夫
★★☆☆☆
小学生時代、通学路の途中に白山神社があった。
その時は単に遊び場の1つか、通り道程度の認識であったのだが、高校で日本史を選択してから、神社の名前が彫られた石柱の横にある人物名が目に留まるようになった。
平沼騏一郎って、確か、総理大臣だよな…。
何で、この神社に総理大臣の名前が?
以来、白山神社の名が頭に残るようになったのだが、祭神やら何やらを調べるまでには至らなかった。
地元の本屋でこの本を見かけて、ふとそれを思い出し、購入してみたのだが、読んでみて、びっくり。
大学時代に卒論でお世話になった助教授の実家が、白山神社の総元締だったのだ。
それで面白くなって、たったか読めれば良かったのだが、この本が、また読み辛い。
一言で言えば、白山信仰について、意見を色々と述べる、という体裁の本である。
で、白山信仰自体がイマイチ研究されておらず、資料も少ないというので、著者の取り上げる話題は、あちらこちらに飛ぶ。
飛ぶのは構わないのだ。
そういう書き方は、松岡正剛で慣れている。
しかし、この本の飛び方は頂けない。
民俗学研究者や小説を引用をするのも構わないのだが、それが多過ぎる上に、著者自身の言葉として昇華され切れていないのだ。
要は文章があまり上手くないので、私には読み辛かった。
また、著者自身が前に出来過ぎているもの、良くない。
白山信仰の起源とその信仰の拡大、類例や、主題である白山神社があるところは被差別部落が多いが、それは何故か、は興味深かった。
のだが、被差別部落時代の発生原因の追求は特に目新しい発見はなかった。
被差別部落の起源は、大和朝廷の時代にまでさかのぼり、江戸幕府の「えた、非人」で始まったワケではない、というのは、既に私の中では「常識」だったし、江戸幕府より天皇との関係に注目すべきだというのも、同じ。
ネタは面白いのだが、書き方がな…、とたまに出会う部類の本であった。
小学生時代、通学路の途中に白山神社があった。
その時は単に遊び場の1つか、通り道程度の認識であったのだが、高校で日本史を選択してから、神社の名前が彫られた石柱の横にある人物名が目に留まるようになった。
平沼騏一郎って、確か、総理大臣だよな…。
何で、この神社に総理大臣の名前が?
以来、白山神社の名が頭に残るようになったのだが、祭神やら何やらを調べるまでには至らなかった。
地元の本屋でこの本を見かけて、ふとそれを思い出し、購入してみたのだが、読んでみて、びっくり。
大学時代に卒論でお世話になった助教授の実家が、白山神社の総元締だったのだ。
それで面白くなって、たったか読めれば良かったのだが、この本が、また読み辛い。
一言で言えば、白山信仰について、意見を色々と述べる、という体裁の本である。
で、白山信仰自体がイマイチ研究されておらず、資料も少ないというので、著者の取り上げる話題は、あちらこちらに飛ぶ。
飛ぶのは構わないのだ。
そういう書き方は、松岡正剛で慣れている。
しかし、この本の飛び方は頂けない。
民俗学研究者や小説を引用をするのも構わないのだが、それが多過ぎる上に、著者自身の言葉として昇華され切れていないのだ。
要は文章があまり上手くないので、私には読み辛かった。
また、著者自身が前に出来過ぎているもの、良くない。
白山信仰の起源とその信仰の拡大、類例や、主題である白山神社があるところは被差別部落が多いが、それは何故か、は興味深かった。
のだが、被差別部落時代の発生原因の追求は特に目新しい発見はなかった。
被差別部落の起源は、大和朝廷の時代にまでさかのぼり、江戸幕府の「えた、非人」で始まったワケではない、というのは、既に私の中では「常識」だったし、江戸幕府より天皇との関係に注目すべきだというのも、同じ。
ネタは面白いのだが、書き方がな…、とたまに出会う部類の本であった。
2010年12月01日
『日本力』 松岡正剛 エバレット・ブラウン
★★★☆☆
対話本なので、読み終えるのに一時間もかからなかった。松岡正剛氏の本を読み慣れている人は、分量的には物足りないだろう。内容も以前から松岡氏の本に書かれていることと大差はない。
ただ、以前の本より、もっとはっきりと現代の日本に対する『警告』が書かれており、日本人が受け入れ易い手段、ガイジンにそれを語らせることで、明治から昭和、敗戦にかけて日本が失ったものを指摘している。
松岡氏の本は内容がてんこもりの場合が多いので、松岡氏の本に本格的にあたるまえの「入門書」として読むのに適しているだろう。
松岡氏は言う。
日本は多様であり、一途。
日本の中心は一つではなく、多である。
今の日本は東京に集中し過ぎている。
以前、東京に行った時に、少し高めのチョコレイトのお店に入り、小さなカップでホットチョコレイトを飲んだ。チョコレイトは文句なく美味しかったのだが、店の隅に不愉快なものを見た。恐らく、施工が悪かったのだろう。店の隅の方で硝子の木枠に「ズレ」があり、かぶせた塗装が一部剥がれて中のベニヤ板が見えていた。
一見高級そうでありながら、中は安物のはりぼてなのだ。
一極集中のマズい点は、東京でそれが当たり前になってしまうと、地方においても、それがスタンダード(標準)になってしまうことだ。
日本にとって大事だとこの本で強調されている、「下地」がおろそかになってしまう。
間違いなく日本の首都は富の使い方を誤っている。
現在、インドネシアは地方に権限と資金を委譲することで、経済的に発展している。
一つに集中してしまうより、多に中心がある方が、「潰れにくい」し「タフ」で、「多様」となれる。
東京もそろそろ江戸くらいに規模を縮小すべきだろう。
対話本なので、読み終えるのに一時間もかからなかった。松岡正剛氏の本を読み慣れている人は、分量的には物足りないだろう。内容も以前から松岡氏の本に書かれていることと大差はない。
ただ、以前の本より、もっとはっきりと現代の日本に対する『警告』が書かれており、日本人が受け入れ易い手段、ガイジンにそれを語らせることで、明治から昭和、敗戦にかけて日本が失ったものを指摘している。
松岡氏の本は内容がてんこもりの場合が多いので、松岡氏の本に本格的にあたるまえの「入門書」として読むのに適しているだろう。
松岡氏は言う。
日本は多様であり、一途。
日本の中心は一つではなく、多である。
今の日本は東京に集中し過ぎている。
以前、東京に行った時に、少し高めのチョコレイトのお店に入り、小さなカップでホットチョコレイトを飲んだ。チョコレイトは文句なく美味しかったのだが、店の隅に不愉快なものを見た。恐らく、施工が悪かったのだろう。店の隅の方で硝子の木枠に「ズレ」があり、かぶせた塗装が一部剥がれて中のベニヤ板が見えていた。
一見高級そうでありながら、中は安物のはりぼてなのだ。
一極集中のマズい点は、東京でそれが当たり前になってしまうと、地方においても、それがスタンダード(標準)になってしまうことだ。
日本にとって大事だとこの本で強調されている、「下地」がおろそかになってしまう。
間違いなく日本の首都は富の使い方を誤っている。
現在、インドネシアは地方に権限と資金を委譲することで、経済的に発展している。
一つに集中してしまうより、多に中心がある方が、「潰れにくい」し「タフ」で、「多様」となれる。
東京もそろそろ江戸くらいに規模を縮小すべきだろう。