2010年07月24日

実伝『江川太郎左衛門』 仲田正之

★★★☆☆

後書きに人物叢書『江川担庵』が難解であると言われたため、読みやすい小説風のこの実伝を書いたとあった。正直、この分厚さで「読みやすい」ワケがなく、「難解さ」もほとんど改善されていない。故に、この本で江川太郎左衛門英龍を世に広めようとするのは無理である。
種痘治療のところで、漫画「マスターキートン」のハーメルンの笛吹き男に触れてみたり、仇討ちにかなり話を割いたりと、所々に、みなもと太郎著の『風雲児たち』的な工夫はあるのだが、関係史料そのままの引用や、関わった人物の名をもらさず列挙、武士同士の格式張った会話が削れない…、など、歴史小説を読み慣れた人でないと、途中で放り出してしまいそうな格式張った書き方である。
また、第一章の「伊豆の妖怪」から第七章の「癸丑」での英龍の死まで、一応時系列順になってはいるが、章ごとに1つの事柄をピックアップした展開にしているため、前の章で終わった事件が次の章では脇の話としてまだ継続中だったりすることが、たびたびある。ある程度江川担庵の生涯を知っていれば問題はないだろうが、あれ?この事件はもう終わった筈なのに、また書いてあるのはどういうことだ?と慣れぬ人は思うだろう。

盛り込まれた新資料や新説、新解釈、登場人物は多様で面白いので、江川担庵、幕末に興味・関心がある人は飽きずに読めるだろう。みなもと太郎『風雲児たち』読者なら、馴染みのエピソードが幾つかあるので、読みやすいと思う。

ただ、鳥居耀蔵とその配下が悪辣に書かれるのは、まあ、当然としても、『風雲児たち』とは「大塩平八郎」「シーボルト」の解釈が180度違い、「阿部正弘」も90度くらい違う。
特に大塩平八郎に関しては、江川家文書から新資料が出たため、大塩なんてロクデモナイ奴だ!という書きっぷりが徹底している。この説は、以前書評に載せた日本の歴史十二『開国への道』でも紹介されていて、学会でも認知されているようだ。そのうち、日本史の教科書における「大塩平八郎の乱」についての説明がかなり変わるかもしれない。

それ以外にも、著者が不服に思う既存の歴史観への批判が幾つか書かれている。
時代劇や小説などにおける代官描写の「酷い間違いっぷり」を指摘する際には、名指しはしていなかったが、(戦後を代表する推理作家)松本清張?すら代官の権限を間違っていると書いていた。

細かいところを除けば、だいたいの江川担庵情報は既知のものであったが、今回、ようやく書かれたものとしては、江川の女性関係情報があった。妾がいるのは知っていたが、名主から差し出された娘たちを孕ませていたのは、知らなかった。
時代劇で描写されるような貞操観念は、江戸時代にはない。
我が家のために良いタネが欲しい、江川様のタネなら娘を差し出してでも、という状態だったらしく、担庵の子供はあちこちにいたらしい。何故か、女の子が多かったと著者は書いている。既に数代を経ているだろうが、江川氏管轄地で目が二重で背が高い人にはもしかしたら英龍の血が流れているかもしれない…。(あくまでもこの本は「小説」だけどね。 ̄∀ ̄* ニヤッ)

2010年05月13日

勝海舟ー韮山代官ー豪商

昨日の中日新聞の夕刊の記事に、勝海舟がらみの話題が載っていた。
咸臨丸がアメリカへ渡航するときの費用の一部を、富士宮の豪商が用立てた。その豪商池谷七郎平と勝海舟の交流は続き、勝が死去した際には、池谷家が施主となり地元の寺で法要を営んだという。
記事の中心はその両家の子孫に、咸臨丸子孫の会が仲立ちとなって、対面の場を設けるというものであったが、私が着目したのは、記事にあった次の「韮山代官」の文字である。

記事引用:勝がどのような経緯で七郎平と接触したかは不明だが、双方と面識があった韮山代官が仲介した可能性が高いという。

咸臨丸がアメリカに向かったのは1860年。
担庵の死去は1855年で、長男英敏の没は1862年だから、この韮山代官は英敏だろう。当時、池谷家があった富士宮の東町は韮山代官所管轄の幕府直轄地であった。

漫画の『風雲児たち』では、何かと担庵の近くに顔を出していた勝海舟であるが、実際の交流の程度となると、イマイチ掴めない。そのはっきりしない交流が少し垣間みれる記事であったので、ここに載せておく。


しかし、最近やけに幕末から明治にかけての地元ネタがよく新聞に載るのは、何でなんだろう?(新撰組の中島登が地元で鉄砲商を営んでいたとか)大河ドラマの影響なのだろうか。
(大河は中世ものしか見ないのだが、この間、母親が見ているのをちら見したら、勝さんのキャストがアレだった。以来、今年の大河を意図的に避けている…)

2010年04月12日

『風雲児たち』 みなもと太郎

★★★☆☆

江川担庵関係の本を探していたら、1つの漫画に辿り着いた。
幕末を描くために、関ヶ原の戦いから書き始めた歴史漫画である。そのため、登場人物は非常に多く、漫画自体もまだ終わっていない。内容は、かなり史実に忠実で様々なエピソードを取り混ぜながら、時にシリアスになりつつも、全体的に「漫画」らしいギャグに重きを置いている。
一応、主役として坂本龍馬が設定されてはいるようだが、関ヶ原から始まっているため、漫画の主体となる人物はころころ入れ替わる。
私は幕末にも坂本龍馬にも興味はない。
江川担庵関係を見たいだけであったので、江川担庵が出ていそうな巻を探し出し、購入した。同じように江川担庵だけに用がある人は、『風雲児たち』15ー20巻と『風雲児たち』幕末編4ー8巻を買えば、事足りる。(幕末編は、その前後の巻にも、数コマ出番があり)
ただ、幕末の重要そうな(面白そうな)人物を手広く扱っているため、江川担庵の出番は多いときもあれば少ないときもあり、江川担庵だけを楽しむのは難しい。が、江川担庵に「出番」があるだけでも貴重な上に、それなりに扱いも良い(=作者の担庵に対する評価が高い)ので、ファンとしては読んでいて楽しい本である。

2010年03月07日

『評伝江川太郎左衛門』 加来耕三

☆☆☆☆☆

読む価値なし。

2009年12月30日

『代官の日常生活』江戸の中間管理職 西沢淳男

★★★★☆

主に水戸黄門のせいで定着してしまった「悪代官」の、本当の姿を書き出した本である。
水戸黄門が諸国漫遊も悪人退治も全くしていないように、やたらと退治されている「悪代官」も架空の存在である。

幕府の官僚であり、年貢を基盤とした幕府財政を支える重要な立場でありながら、「代官」の地位は低く、その地位も政権や家来の出来次第で変わってしまう不安定なものであった。
確かに、税収や地方政治を預る役割を、上手く回すことができれば、出世や蓄財も出来た。しかし、地方への赴任は多額の借金を伴うものであり、ひとたび、下僚(家来)の不正が明らかになれば、代官の首は簡単に飛んでしまった。また、赴任先で災害や飢饉が起きれば、幕府の指令より先に、自己負担覚悟で百姓救済のために駆けずり回る。たとえ、地方に赴任する必要がなく、江戸在府であっても、付き合い上の散財は免れない…。などなど、百姓を支配する立場を利用して悪事を働くだけが代官ではない。支配する方はする方で大変なんだよー、中間管理職は辛いよ、というのが、よく分かる本である。

そして、この本に見える代官の姿は、そのまま現在の官僚、公務員と重なる。いつの時代になっても、お役人の置かれる立場は変わらないのだ。
伊豆韮山の世襲代官であった「江川家」についても、たびたび触れられていた。

2009年11月01日

創作オペラ「江川太郎左衛門」ー熱き心の火

たまたま寄った韮山の資料館で江川坦庵に興味を持ってから、ネット上の情報、専門書、小説、漫画と関係するものをかなり読みあさり、関わりのある場所もそれなりに巡った。
そんな中で、存在を知っていながら、見に行くのに躊躇していたのが、このオペラである。
何故か、数年前から伊豆では江川坦庵主役の創作オペラが上演されている、のをネット上で見つけた。

幕末の代官を「オペラ」に?

しかも、ネタ的に盛り上がりが欠けそうな江川坦庵で?

多分、地元密着型なのだろうと予想はついたが、どんな内容か、と考えると想像できない。江川坦庵の創作物は少ないから見に行くべきだろうが、しかし…。
甚だしく残念なものを見る羽目になるのでは、という不安が拭えなかったため、今年も伊豆の国市で開催されると知った後も、行くと決めるまで多少時間がかかった。

まあ、ものは試しだ。
韮山資料館の展示も見たいし、行ってみようと決めたのが、9月。

オペラの観賞方法を見てみると、チケットを購入する必要はなく、整理券を求めればいい。ということで担当の課にFAXを送り、10月上旬に整理券を送ってもらう。
そして、10月23日。
開演およそ15分前に着いた会場は、既にお客さんでいっぱいだった。

え?

あんまり人がいないんじゃないだろうか、という予想が覆された。
それほど広くないホールではあったが、ほぼ満員御礼状態である。

江川坦庵で、何で?

と物凄い疑問に襲われたのだが、その理由は、開演して直ぐに分かった。

出演者の9割が、地元の人達だったのだ。
完全地域密着型にして、みんなでやろう文化祭な、オペラだったのだ。

観客の大半が、出演者の身内か、知り合いか、親戚か、お友達。
オペラである点が多少変わっているが、いわゆる、おらが村の演劇「江川太郎左衛門」だったのだ。

ただ、メインキャストは、プロのソリストであり、地元の皆さんの歌のレベルもそれほど低くない。舞台の手前にいるアンサンブル(楽器奏者)もアマチュアのようだったが、「生」の演奏は気分がいい。

若い頃の、芳次郎時代の恋愛ネタから入り、兄の死、蛮社の獄で前半が終了。
坦庵が詠んだ「里はまだ夜深し富士の朝日陰」を取り入れた歌が、なかなか良かった。
そこだけCDが欲しいと思うくらいであった。
そして、前半に尺を取り過ぎた構成のためか、後は駆け足。
マリナー号、お台場作りなどなど活躍が、「語り」ですっとばされて、妾がいるのにやたらと夫婦愛を強調しているなあと思っていたら、いつの間にか、坦庵さんがお亡くなりになってしまっていた。
みんなで協力して反射炉を完成させるところで終わるのは悪くはないのだが、やはり、江川坦庵の業績はオペラにしにくいのだなあと思った。

(幕の後の、ソリスト紹介で時間切れとなってしまい、慌てて会場を出た際に、携帯電話を落としました。拾って下さった方、送って下さった会場の方には御礼申し上げます)

時事ネタと取り入れて上手に笑いを誘うなどの小技もあり、地域密着タイプのオペラとしては、出来は「良」であろう。それなりに盛り上がってもいるようであるし、費用が続く限りは、続けて欲しいものである。


そして、こういう創作ものの江川坦庵を読む(見る)度に、大河ドラマか何かで映像化してくれないかな…、と考えてしまう。(1年やれるだけのネタはあるし、脇に歴史上の有名人がたくさんいるのになあ)

2009年10月31日

坦庵ー江川太郎左衛門英龍の実像

静岡では、10月下旬から11月上旬にかけて、国民文化祭なるものが開催中である。
毎年、各都道府県が持ち回りで順に開催しているそうだが、国体なぞに比べたら、知名度の点ではるかに劣る文化イベントだ。今年になるまで文化祭の存在自体を知らなかったし、このイベントのために他県に出掛けたこともない。
が、4月に、三島と伊豆長岡で江川坦庵ポスター↓を見たときから、この国民文化祭は重要なイベントになってしまった。


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伊豆韮山にあった「パンをほうばる坦庵」ポスター?


文化祭のテーマは、各市町村で異なる。
単に俳句や作品を募集するだけのものから、大勢の人を集めて劇やオペラを上演したりするものまで、内容は幅広い。テーマも市町村ごとに違う。
その中で、伊豆の国市が取り上げたテーマが、「江川坦庵」であった。
関連の劇、オペラ、パン祭り、講演、展示などがあるという。

…大いに関心はあるが、どうしよう。
4月に行ったばかりなのに、また伊豆に行くのか。

などと逡巡したが、結局は、行った。
関連イベントは複数で、開催日もずれがあったため、オペラと資料館での展示に的をしぼって、出掛けた。

オペラについては、後日に譲るとして、先ず、タイトルにある「坦庵」展示である。
今回の展示では、11ページしかないが、パンフレット↓がもらえる。


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展示品も、隣接する江川邸に常設されているような複製ではなく、本物が置かれていて、見応えがある。
坦庵が自分で描いた自画像はもちろん、大國士豊の英龍肖像、甲州微行時の単衣、坦庵自筆の書、多数の手紙、そして、初めて目にする「蜀江錦小袴」(国文祭期間限定公開)などなど。
初見のものも多く、坦庵が使った眼鏡が2つあるのには驚いた。(また、その眼鏡に「直して」使った跡があるのもいかにも坦庵公らしい)
また、芳次郎時代に描いた絵や、絵に励む息子芳次郎に対し、父の英毅が絵の具を送った手紙など、親子のやりとりが分かる資料もあり、一代官に過ぎないのに、こんな展示ができるほど資料があるとは…、と江川家の資料の充実ぶりに感嘆した。

いいなあ、資料が豊富な人って…。(それもこれも江川家がきっちり存続していて、韮山という地元にしっかり根付いていたからだよなあ)

江川文庫はまだまだ調べ中なので、更に新しい資料が出て来る可能性が十分にある点も嬉しく、羨ましい。
江川坦庵に興味がある人は絶対に行くべき展示ではあるのだが、そんな人が稀なのが悔やまれる…。(あれだけ資料が豊富なら、凄く研究しがいがあるのに)

2009年05月07日

伊豆長岡

四月の話ではあるが、伊豆長岡に行って来た。
前回、たまたま寄った韮山で「江川坦庵」を知り、以後、見事にハマったため、改めて、「江川坦庵」ツアーに出掛けたのである。
そうしたら、駅の柱にこんなものが。

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このデカ目は、紛れもなく「江川坦庵」ではないですか!


駅の外には、同じく坦庵さんの大きな看板が。(こちらは写真なし)


以前来た時にはこんなものなかったのに、何故?
と思い、調べてみたら、今年の国民文化祭は、静岡が担当で、伊豆の国市はそのテーマに「江川坦庵」をピックアップしたとこのこと。
秋には、色々と関連行事があるらしい…。


また、秋に伊豆に来い、ということなのだろうか。

うぬぬ。(思案中)

2009年03月26日

『近代砲術の開祖 高島秋帆と江川坦庵』山野貞子

★★☆☆☆

一度、『御赦免花』として出した本に加筆修正を加えて、タイトルを変更し、出し直した本である。2008年の出版であるが、古本があったので、そちらを購入。
江川坦庵が出ているフィクションものをネットで調べたのだが、前回の『江川太郎左衛門』と、この本以外には、自費出版の『天保騒動記』があるだけのようだ。今後、出版予定の『英龍伝』を入れても計四冊。ネタも資料も多いのになあ。

『高島秋帆と江川坦庵』とタイトルにあるように、江川坦庵単独ではなく、両者の話である。本の帯に「身分や立場をこえた美しい人間関係が胸を打つ歴史小説」とあり、アマゾンの紹介文もそうあったため、逆に購買意欲が削がれたのだが、まあ、江川坦庵だし、と読んでみた。実は、これが現時点で出版されている、たった1冊の江川坦庵主役並本なのだ。
タイトルに「近代砲術」とあるが、女性が作者のせいか、砲術や反射炉にはさほど描写が割かれていない。江川さん関連のネタを、甲州微行(変装して探索)、蛮社の獄と、人物叢書の『江川坦庵』に従って拾っている。その前後を高島秋帆のエピソードが占める形で構成され、タイトルでは高島秋帆の名が先にあるが、文中で清廉な人格者として、かなり持ち上げられているのは江川坦庵の方である。(高島秋帆への評価ももちろん高い)
蛮社の獄などに関して詳しい説明がないため、このあたりの歴史に知識がないと、読み辛い。
途中に川路聖謨の奥さんのげろげろ病ネタがあって、おお、ちゃんと川路さんの日記を読んでいるな、と思ったのだが、それは参考文献には載ってなかった。

いかにも女性が書いたらしい、正統な感じの歴史小説である。
面白いとは言い難いが、タイトルの両者が好きで、彼らに関する知識があるなら、それなりに楽しいかもしれない。

2009年03月15日

『江川太郎左衛門』開国派英才挫折す 林清梧

★☆☆☆☆

図書館の検索で「江川」を入力したら、引っ掛かったので借りてみた本である。
庶子として生まれた江川坦庵に、「上昇思考」を持たせて主役にしている時点でもうダメだ。
読み始めてかなり早い段階で、うっぷんばらしに坦庵(邦次郎)が人を切っており、うわー、もう読みたくない、と思ったのだが、江川坦庵が主役だったので、我慢して最後まで読み通した。

尚歯会や蛮社の獄、鳥居耀蔵との絡み、マリナー号など、一応、坦庵が関わった要素を全部取り入れているのに、全く面白くないのは、作者が重きを置いている部分が悪過ぎるからであろう。

上昇思考、出世欲が坦庵にゼロだったとは、私も思わない。
が、坦庵という人物の「ウリ」は、「隠忍自重」「開明派」「技術開発」「能吏」「過労死」などであり、絶対のしあがってやる、という野心ではないのだ。
文章も読み辛く、見せ場もイマイチ。
江戸城で働く女性と坦庵の色恋ネタもあるのだが、坦庵は妹が大奥に入っているので、そんな「工作」をでっちあげる必要性が分からない。
坦庵の最期についても、「毒殺説」を採用しており、その犯人は水戸斉昭だったり。と、面白そうな素材を動員しているのは、分かるのだが、話がまったく盛り上がりに欠ける。

現在は絶版で手に入らない本のようだ。
絶版で良かった。
これが江川坦庵なんて思われたら、悲しい出来だからな。