5、文禄三(1594)年その2 徳川家康(52歳) 山科言経(51歳) *実年齢
文禄三年も引き続き文禄の役が継続中。但し、文禄二年四月あたりから講和のための交渉が行われている。
二月 吉野の花見
四月 近衛信尹が薩摩へ配流
八月 伏見城、完成
この中で山科言経と徳川家康に関係するのは、八月の伏見城の完成である。この城ができたことで、豊臣政権の中枢が伏見に移ってしまい、家康も伏見に居ることが多くなる。言経の家は本願寺に近い油小路通にあり、京での家康の屋敷は聚楽第のすぐ側の長者町にあった。八月もこまめに家康の所に通っていた言経だが、九月からそれが難しくなる。
九月小
一日、丙子、天晴、
江戸亜相(家康)ヘ罷向、早朝ニ伏見ヘ被行也云々、
家康が伏見に行ったっきり戻って来なくなるのだ。もとより、伏見に屋敷も造らせていたから、事実上の引越である。言経は長者町の屋敷に行っても会えないため、伏見に行っても良いかと石川家成に尋ねる。
十一日、丙戌、天晴、
石河日向守ヘ罷向、対顔了、明日伏見ヘ罷向、
江戸亜相(家康)可見舞之由談合了、則可然之由有之、
月齋書状・岩間兵庫助下人衆食之事書状・
大工藤兵衛ヘ一宿可馳走之由書状調給了、
相談を受けた家成は「可然之由」とOKを出した上で、書状を書いて食事と宿の手配をしてくれた。翌日、言経は駕篭に乗って三十本の松茸を手土産に伏見に向かう。当時の京都には多くの赤松が生えていて、松茸も近くで採れた。
十二日、丁亥、天晴、晩小陰、
伏見ヘ朝食急罷向了、乗物也、先之三人方ヘ書状共相届了、
藤兵衛所ニテ休息了、次午刻ニ江戸亜相(家康)ヘ松茸三十本持罷向了、対顔了、
夕食相伴了、種々雑談了、戌刻ニ又夕食有之、相伴了、
夜半過ニ藤兵衛ヘ帰宿了、
十三日、戊子、天晴、夕時雨、
江戸亜相(家康)ヘ早朝ニ罷向了、朝食ハ岩間兵庫助ニテ有之、亜相臺所也、
下人衆食臺所ニテ有之、未刻ニ伏見ヨリ発足、申下刻ニ帰宅了、
十二日に戌刻(夜八時前後)まで種々雑談した言経は、翌日、臺所奉行岩間兵庫助の所で朝食を貰って未刻(午後二時前後)に出立し、申刻(午後四時前後)に帰宅する。
十九日、甲午、天晴、晩ヨリ雨風、
伏見ヘ江戸亜相(家康)ヘ可罷出之トテ冷泉殿発足、朝冷急テ罷向了、
奥平牧庵(貞能)所ニテ旅宿也、冷泉殿ヨリ梅庵ヘ双瓶被遣了、
次 大納言(家康)殿ヘ尋之處、有間中務法印(則頼)ヘ御出也云々、
次客来有之云々、不及是非梅庵ニテ宿了、夕食有之、
和泉堺カミヲ宗具同来了、雑談了、
十九日に言経は再び伏見に向かう。今度は冷泉為満と一緒である。勿論、為満を家康に雇ってもらうためだ。が、家康は有馬則頼の所に出掛けていていた上に来客の予定もあるという。二人は梅庵(大村由己)の所に泊めてもらう。
廿日、乙未、雨風、午刻ヨ(リ)晴了、
江戸亜相(家康)ヘ八時ニ罷向了、冷梅庵同道了、柿一盆被進了、
次碁有之、見物了、次夕食相伴了、
次奥ノ座敷亜相・予・冷泉・梅庵等ニテ家傅三代集(定家卿筆)被見了、
奇特被感了、為家卿三代集ニ付而、
後土御門院・後柏原院・後奈良院等 勅書共則同被見了、
又為家卿ヨリ三通書状、譲状也、同被見了、
又僧正遍昭家集(定家卿筆)亜相ヘ被進了、事外祝着也、
冷可相抱之由直談也、次
翌廿日、言経は自分を家康に仲介してくれた大村由己と共に、家康に為満を売り込む。為満も書物や勅書などの手土産を幾つか持参し、そのうち藤原定家直筆の僧正遍昭家集を家康に進呈する。家康が「事外祝着」と喜んだところで、「冷相抱之由直談」をして、自分を雇って欲しいと頼む。このとき直ぐに為満を雇うと決まったのかは分からない。が、その後も下の記事のように冷泉為満は言経と共に家康の所に通う。
十月大
二日、丙午、天晴、
早朝ニ食ヲ急キ伏見ヘ発足、冷同道了、町家ヲ借了(扇子二本遣了)、
七時分ニ 江戸亜相(家康)ヘ冷同道罷向了、対顔了、夕食相伴了、
亜相・予・冷・織田有楽(長益)・有間法印・牧庵・由己・(神尾)宗具等也、
暮々ニ帰宅了、則旅宿了、
この当時の家康の動きとして興味深いのは大量の書籍の購入である。
十二日、丙辰、天晴、
梅庵ヨリ書状有之、江戸亜相(家康)書籍被見物、則被止置之間、
銀子事妙壽院マテ、予書状可遣之由有之間遣了、予取次分也、
十五日、己未、天晴、
旅宿ヘ梅庵法印被来了、草子共亜相(家康)ヘ可懸御目之由有之、目六有之、
治平要覧百五十册、此内三册不足、又タウ傅・性理群書・李白詩・資治通鑑等也、
又聖護院殿ヨリ 亜相ヘ被見正俗篇等、梅庵ヨリ被申之間同心了、
梅庵ハ連歌ヘ被罷向云々、
後刻 亜相ヘ罷向之處ニ、依召 御登城也云々、
月齋小屋ヘ罷向、移刻冷等雑談了、草子共之事、具月齋ニ申置、
亜相ヘ可相届之由申了、
御帰宅次第ニ可懸御目之由有之、未刻ニ旅宿ヨリ発足、
冷同道了、申刻ニ帰宅了、
銀子が妙壽院に支払われていて、言経が「取次分」を得ているので、家康は妙壽院の藤原惺窩から書物を購入したようだ。十五日にその書物(=草子)の目六(=目録)を言経は大村由己に見せてもらっている。治平要覧は朝鮮、それ以外は中国の書物。
廿日、甲子、天晴、
太閤 殿下ヘ御成也、江戸亜相(家康)已下衣冠ニテ馬上御供也、
太閤者御車也、貴賤群衆、美麗言語道断也、
江戸亜相ヘ可罷向トテ冷同道了、路次ニテ見物了、
廿日に秀吉が殿下(=豊臣秀次)の所に行く。家康も馬で共をして移動し、長者町の屋敷に戻る。再び、ほぼ毎日、言経は冷泉為満と一緒、もしくは一人で家康通いを始める。
廿九日、癸酉、天晴、
江戸亜相(家康)ヘ冷同道罷向対顔了、碁・将棋(中・少)有之、見物了、
舞之大夫高(幸)若ー、以上五人来了、舞二番(イフキヲロシ、カマタリ)等有之、聞了、
次夕食有之、相伴衆三十四人有之、酉下刻ニ帰宅了、柳原・由己其外有之、
家康は能の他に「幸若舞」も楽しんだようだ。十一月一日にも舞手を呼んでいる。十一月三日に家康が伏見へ移動すると、言経と為満は伏見に通う。為満は堺に家があるので、移動は結構な手間だと思われる。
十二月小
一日、乙巳、天晴、
未刻ニ伏見ヘ罷向、梅庵ヘ立寄了、他行也云々、 太閤(秀吉)昨日御上洛也、
江戸亜相も(家康)御同道也云々、則上洛了、帰宅了、少休息了、
次申下刻ニ発足、暮々聚落江戸亜相ヘ罷向了、 太閤ヘ出仕也、
戊(戌)下刻ニ御帰了、則対顔了、種々雑談了、茶共有之、
夜半過ニ小川善大夫(宗久)ヘ罷向了、宿了、
十二月、秀吉の上洛に合わせて、家康も移動してくる。早速、言経は出向いて種々雑談している。そして、この年末に言経はボーナスを貰う。
六日、庚戌、天晴、
石河日向守ヘ生鱧(十)遣了、則対顔了、蛤ニテ酒有之、
次亜相(家康)ヨリ合力之サキ紙送給了、如此、
十日、甲寅、天晴、
大津ヨリ江戸亜相(家康)ヨリ御合力之米新九郎モタセ来了、引ヲコシ也、
駄チンハ代官濟也云々、米ハ八合升也云々、十石分来了、新九郎ニ夕食申付了、
この十石は通常の扶持以外の収入である。言経は家康から貰う扶持を順調に増やしている。また、廿一日には冷泉為満も家康から扶持を貰えるようになる。
廿一日、乙丑、天晴、
朝食急、伏見ヘ冷同道罷向了、旅宿与左衛門尉ヘ罷向了、
五疳保童円二百粒遣了、次改衣裳、
江戸亜相(家康)ヘ罷向対顔了、夕食相伴了、亜相・予・冷・
利玄坊・宗喝・石河日向守・一竹等也、申刻ニ座ヲ立了、
月齋ヘ見舞ニ冷同道罷向了、亜相ヨリ冷ヘ可有扶助之由、石河日向守被申了、
次旅宿与左衛門尉ヘ帰、豆腐ニテ酒振舞了、次発足、暮過テ帰宅了、
大日本古記録の注では先の九月の直談のときに為満を召し抱えると家康が言ったとしているが、扶持を約束しているのがこの十二月廿一日なので、正式な雇用はこの十二月なのではないだろうか?少し前の十四日に、家康の近習である加賀爪政尚が家康からの談合(=話がある)の知らせを言経と為満に伝えている。それで伏見に行ったところ、扶持の話が本決まりとなっていたのだ。これ以降、為満が一人で、もしくは言経の息子阿茶丸(言緒)と共に伏見にいる家康の所に行く記事が増える。十二月以前は常に言経と同道している。
廿七日、辛未、天晴、節分、
石河日向守ヘ罷向了、他行也云々、江戸亜相息女(督姫)(北条氏直後室)、
池田三左衛門尉(輝政)ヘ今夜嫁娶也云々、其見舞也云々、
文禄三年最後の家康関係の記事は上の督姫の嫁入りである。今夜とあるので、夜に嫁いでいるのが分かる。督姫は小田原の戦いの後、高野山に流された夫北条氏直のもとにいたが、天正十九年に氏直が没したため、家康のもとにいた。このとき、池田輝政に再嫁し、夫婦仲は良かったのか、五男二女をもうけている。
そして、文禄元年二月に上洛してからここまで家康は一度も江戸に戻っていない。文禄の役の最中だからだろうか。
2014年08月24日
2014年08月16日
『日中戦争下の日本』 井上寿一
★★★★☆
帯にある「盧溝橋事件から70年 なぜ国民は戦争に協力したのか」から、出版年が分かる。来年は第二次世界大戦終結から70年。関連書籍やドラマなどが増えそうではあるが、日本の場合、その対象は対英米戦であった太平洋戦争に向きがちで、同時進行していた日中戦争への言及は弱い。
そうなる理由は多々あろうが、日本国民、特に非軍人の戦争犠牲者数の大小が物を言っているだろう。日中戦争は日本本土を巻き込まなかった。一般人の犠牲が少ないが故に戦争の悲惨さが実体験として感じられないのだ。
実際、日中戦争開始時、戦争の影響は先ず「景気回復」に現れた。
政府が積極的に資金を投じたため、軍需産業を中心に景気が良くなったのだ。この時期に新興財閥として力を伸ばしたのが、日産・日窒などである。第一次世界大戦の終結と世界恐慌で悪化していた経済の回復に、都市部ではデパートが盛況となり、銀座ではネオンサインが煌めいた。
戦場から帰った兵士達は、そのような本土の享楽振りを嘆き、社会の改革を望んだ。日中戦争による戦争景気は軍需部門を中心としていたため、農村や他産業にはその恩恵は及ばず、兵士の大半は農村出身であった。
そして、兵士達の視線は戦場での矛盾にも及ぶ。
日中戦争は盧溝橋事件という偶発的な事件によって拡大したが、日本による満州進出の前提から中国との戦争の始まりは必然でもあった。当初、短期で終わると予想されていた戦争は、中国側の抵抗により長引き、泥沼化していった。日本政府は戦争勃発から一年以上経過して「東亜新秩序」を戦争目標として発表した。欧米の植民地支配からのアジアの解放と、日本を指導者とするアジア共同体の発展がお題目となった。
戦域の拡大により兵士の動員数は増え、彼らは戦地でスローガンと矛盾する実体に遭遇する。
戦争は誰もいない荒野で整然と行われるものではない。農村や都市など、人々が暮らす地域でごく当たり前に展開される。日本兵の多くは占領地した地域で警備の仕事についた。そして、彼らはキリスト教の教会が中国人に信頼され、組織的に彼らを助けている姿と、それとは対照的に日本軍のせいで中国人が苦しみ、抗日に走る様を目にする。
「東亜新秩序」の理想と完全に逆転した光景に、兵士達は日本こそ変わらねば、との思いを強くする。
日本を変えようとする気運は本土でも高まっていた。戦争という非常時を利用して格差を減らし、植民地も含めた世の平等化を進めようとする動きは農民・労働者側に広がり、実際にその動きは戦況の悪化とともに、現実化していく。労働者の給料は上がり、小作料も安くなり、地主の利益は縮小された。しかし、戦争による物資の不足は国民全体の生活を否応なく押し下げたため、労働者や農民の生活環境は改善しないばかりか、より悪化した。
そして、日中戦争は太平洋戦争とともに終結する。
兵士等が享楽振りを嘆いた銀座の街も、汚く、薄汚れ、農村と変わらぬ光景となっていた。
いつの時代、どこであっても、人は目に映る「現状を憂い」世の中を「変えよう」として足掻く。日中戦争を利用して世間を変えようとする動きは、確かに一定の変化をもたらした。だが、それは結局のところ、「戦争」によって潰されてしまった。
戦時中の平等化は戦後に引き継がれ、GHQによる改革で労働者・小作人の地位は相対的に向上した。戦後、経済状態がどん底にまで落ちながらもある程度安定した社会が形成されたのは、人口の大半を占める農民が土地を手に入れて、保守化したのが大きい。これでいいと思えば、人は大きな変化を望まなくなる。
兵士等の動向以外にも知識人・政治家の思考と困惑と迷走なども興味深く読んだ。
日中戦争の展開や要因ではなく、当時の国民が戦争から何を得ようとしたのか、を知るに良い本である。
帯にある「盧溝橋事件から70年 なぜ国民は戦争に協力したのか」から、出版年が分かる。来年は第二次世界大戦終結から70年。関連書籍やドラマなどが増えそうではあるが、日本の場合、その対象は対英米戦であった太平洋戦争に向きがちで、同時進行していた日中戦争への言及は弱い。
そうなる理由は多々あろうが、日本国民、特に非軍人の戦争犠牲者数の大小が物を言っているだろう。日中戦争は日本本土を巻き込まなかった。一般人の犠牲が少ないが故に戦争の悲惨さが実体験として感じられないのだ。
実際、日中戦争開始時、戦争の影響は先ず「景気回復」に現れた。
政府が積極的に資金を投じたため、軍需産業を中心に景気が良くなったのだ。この時期に新興財閥として力を伸ばしたのが、日産・日窒などである。第一次世界大戦の終結と世界恐慌で悪化していた経済の回復に、都市部ではデパートが盛況となり、銀座ではネオンサインが煌めいた。
戦場から帰った兵士達は、そのような本土の享楽振りを嘆き、社会の改革を望んだ。日中戦争による戦争景気は軍需部門を中心としていたため、農村や他産業にはその恩恵は及ばず、兵士の大半は農村出身であった。
そして、兵士達の視線は戦場での矛盾にも及ぶ。
日中戦争は盧溝橋事件という偶発的な事件によって拡大したが、日本による満州進出の前提から中国との戦争の始まりは必然でもあった。当初、短期で終わると予想されていた戦争は、中国側の抵抗により長引き、泥沼化していった。日本政府は戦争勃発から一年以上経過して「東亜新秩序」を戦争目標として発表した。欧米の植民地支配からのアジアの解放と、日本を指導者とするアジア共同体の発展がお題目となった。
戦域の拡大により兵士の動員数は増え、彼らは戦地でスローガンと矛盾する実体に遭遇する。
戦争は誰もいない荒野で整然と行われるものではない。農村や都市など、人々が暮らす地域でごく当たり前に展開される。日本兵の多くは占領地した地域で警備の仕事についた。そして、彼らはキリスト教の教会が中国人に信頼され、組織的に彼らを助けている姿と、それとは対照的に日本軍のせいで中国人が苦しみ、抗日に走る様を目にする。
「東亜新秩序」の理想と完全に逆転した光景に、兵士達は日本こそ変わらねば、との思いを強くする。
日本を変えようとする気運は本土でも高まっていた。戦争という非常時を利用して格差を減らし、植民地も含めた世の平等化を進めようとする動きは農民・労働者側に広がり、実際にその動きは戦況の悪化とともに、現実化していく。労働者の給料は上がり、小作料も安くなり、地主の利益は縮小された。しかし、戦争による物資の不足は国民全体の生活を否応なく押し下げたため、労働者や農民の生活環境は改善しないばかりか、より悪化した。
そして、日中戦争は太平洋戦争とともに終結する。
兵士等が享楽振りを嘆いた銀座の街も、汚く、薄汚れ、農村と変わらぬ光景となっていた。
いつの時代、どこであっても、人は目に映る「現状を憂い」世の中を「変えよう」として足掻く。日中戦争を利用して世間を変えようとする動きは、確かに一定の変化をもたらした。だが、それは結局のところ、「戦争」によって潰されてしまった。
戦時中の平等化は戦後に引き継がれ、GHQによる改革で労働者・小作人の地位は相対的に向上した。戦後、経済状態がどん底にまで落ちながらもある程度安定した社会が形成されたのは、人口の大半を占める農民が土地を手に入れて、保守化したのが大きい。これでいいと思えば、人は大きな変化を望まなくなる。
兵士等の動向以外にも知識人・政治家の思考と困惑と迷走なども興味深く読んだ。
日中戦争の展開や要因ではなく、当時の国民が戦争から何を得ようとしたのか、を知るに良い本である。
2011年11月26日
無線LANの電波が出ない。
昨日、繋がらなくなっているのに気付いて、再起動をかけて復活させたのだが、今朝、再び、電波レスになっていた。
再起動かけても、もう電波の所に明かりが灯ってくれない。
ケーブルに直繋ぎすれば、このようにネット上に上がれるが、無線のように頻繁にチェックするのは無理である。
只今、今日から仕事が忙しいため、無線LANの購入&設置が難しく、なくても仕事には支障がないため、暫く、(もともと頻度低いですが)記事更新や返信が滞ります。
2冊、読み終えているのになあ…。
再起動かけても、もう電波の所に明かりが灯ってくれない。
ケーブルに直繋ぎすれば、このようにネット上に上がれるが、無線のように頻繁にチェックするのは無理である。
只今、今日から仕事が忙しいため、無線LANの購入&設置が難しく、なくても仕事には支障がないため、暫く、(もともと頻度低いですが)記事更新や返信が滞ります。
2冊、読み終えているのになあ…。
2011年10月16日
10日以上、
ブログを書いていないことに気付いたので、書きに来た。
仕事が忙しく本読みが進まなくて、更新に結びついていないのだが、今週いっぱいまで状況が変わらない予定。
現在読んでいるのは、
『近代ヨーロッパの誕生』オランダからイギリスへ
『黄金の世界史』
上は商売から、下はタイトル通り金の動きから、歴史を捉えようとする内容で、微妙に中身がかぶっているため、これは面白いと交互に読んでいて余計に進まなかったりしている。
また、現在、金融関係に対し世界規模でデモが発生しているが、『近代ヨーロッパの誕生』が書き出しているのが、正にその発端部分。
でもって、この現状の格差云々問題のトータルした解決方法って何かなとぐるぐるしていたら、「人口減」しかないな、に落ち着いたんだが、違うだろうか。
仕事が忙しく本読みが進まなくて、更新に結びついていないのだが、今週いっぱいまで状況が変わらない予定。
現在読んでいるのは、
『近代ヨーロッパの誕生』オランダからイギリスへ
『黄金の世界史』
上は商売から、下はタイトル通り金の動きから、歴史を捉えようとする内容で、微妙に中身がかぶっているため、これは面白いと交互に読んでいて余計に進まなかったりしている。
また、現在、金融関係に対し世界規模でデモが発生しているが、『近代ヨーロッパの誕生』が書き出しているのが、正にその発端部分。
でもって、この現状の格差云々問題のトータルした解決方法って何かなとぐるぐるしていたら、「人口減」しかないな、に落ち着いたんだが、違うだろうか。
2011年09月09日
単なる語り。
私は小学生くらいで徳川家康にハマったこともあり、基本、幕末は好きではない。
維新の志士でもひいきは無しに等しい。(というか、基本幕府寄り。でも新撰組に興味はない)
戦国時代よりは鎌倉時代が好きで、天下人以外の戦国武将には関心がなかった。
が、歴史をトータルして見る面白さに目覚めてからは、色んな時代を万遍なく調べるようになり、大きな流れも見つつ、小さな事象も拾ってみるのが楽しくなった。
で、トータルしてみると、幕末の要因は関ヶ原にあり、太平洋戦争の大本は明治政府にある、という流れが見えてくる。
日本は、何故か、「西国」勢力が力を持つ度に、外国と戦争して「負け」て「引っ込む」のを繰り返している。
最終的にいつも勝ってないのが笑えるのだが、出る度に叩かれて引っ込むんだよなあ。
秀吉も、本拠地を関西に置いてから出ていって負けた。
というか、関西に本拠地を置いた「武家政権」は長続きしない法則があるのだが、あれっていったい何故だろう。
やっぱネックは朝廷だろうか。
ということは、朝廷を中に取り込んでいる明治以来の今の政府も長くはないのかな?
まだ140年くらいだが、太平洋戦争の敗北でいったん潰れたと見れば、「長くなかった」と言えるのか。
この間の地震以来、朝廷(天皇周辺)は京都にいた方がいいんじゃないかと思っている。
今の日本は、東京にあらゆるものが集中し過ぎて、あそこがポシャると日本の機能がほぼ停止してしまうからだ。
というか、東京の基礎体力の脆弱ぶりが地震で露呈したのに、そこを改善しようという考えが出て来ないのが…。(それとも何か動いているのだろうか)
関東大震災の後も、結局、前と同じ作りにしてしまって、何にも改善されなかったんだよな。
一カ所にすべてを集めてしまった国は「脆い」。
変えようという発想が出ない時点で、東京は「老い」て「停滞」している。
実は明治以来の支配層が太平洋戦争の責任も取らずまだ権力の座に居座っているのが、今の日本の現状なのだが、あんまりそういう指摘も見ないなあ。
取り敢えず、朝廷を移動させて、文化関係だけでも東京を出ないだろうか。
京都が狭過ぎて駄目なら、奈良という手もある。
維新の志士でもひいきは無しに等しい。(というか、基本幕府寄り。でも新撰組に興味はない)
戦国時代よりは鎌倉時代が好きで、天下人以外の戦国武将には関心がなかった。
が、歴史をトータルして見る面白さに目覚めてからは、色んな時代を万遍なく調べるようになり、大きな流れも見つつ、小さな事象も拾ってみるのが楽しくなった。
で、トータルしてみると、幕末の要因は関ヶ原にあり、太平洋戦争の大本は明治政府にある、という流れが見えてくる。
日本は、何故か、「西国」勢力が力を持つ度に、外国と戦争して「負け」て「引っ込む」のを繰り返している。
最終的にいつも勝ってないのが笑えるのだが、出る度に叩かれて引っ込むんだよなあ。
秀吉も、本拠地を関西に置いてから出ていって負けた。
というか、関西に本拠地を置いた「武家政権」は長続きしない法則があるのだが、あれっていったい何故だろう。
やっぱネックは朝廷だろうか。
ということは、朝廷を中に取り込んでいる明治以来の今の政府も長くはないのかな?
まだ140年くらいだが、太平洋戦争の敗北でいったん潰れたと見れば、「長くなかった」と言えるのか。
この間の地震以来、朝廷(天皇周辺)は京都にいた方がいいんじゃないかと思っている。
今の日本は、東京にあらゆるものが集中し過ぎて、あそこがポシャると日本の機能がほぼ停止してしまうからだ。
というか、東京の基礎体力の脆弱ぶりが地震で露呈したのに、そこを改善しようという考えが出て来ないのが…。(それとも何か動いているのだろうか)
関東大震災の後も、結局、前と同じ作りにしてしまって、何にも改善されなかったんだよな。
一カ所にすべてを集めてしまった国は「脆い」。
変えようという発想が出ない時点で、東京は「老い」て「停滞」している。
実は明治以来の支配層が太平洋戦争の責任も取らずまだ権力の座に居座っているのが、今の日本の現状なのだが、あんまりそういう指摘も見ないなあ。
取り敢えず、朝廷を移動させて、文化関係だけでも東京を出ないだろうか。
京都が狭過ぎて駄目なら、奈良という手もある。
2011年08月02日
駿河湾沖か。
今回の地震はフィリピン海プレートが原因だったようだ。
とっくの昔に寝ている時間帯だったが、たまたま(タオルケットで寝ていたら)寒くて目が覚めていたため、地震前に起きていた。
というか、遠方から地震が近付いて来るときって、地面の下からごごごって音が聞こえないかな?
今までこれに賛同してくれたのは一人だけなんだが、どうもS波の前のP波(初期微動)が聞こえている?ようだ。
その相手は愛知だったため、
「岐阜が震源地のときが一番聞こえやすいよねー」(*^-^)
という同意見も貰った。
残念ながら、海の下が震源地のときは聞こえにくい。
阪神淡路大震災のときはかなりよく聞こえた。
というか、大きな地震の前は寝ていても何故か大概目が覚めているので、揺れてから起きることは、先ず、ない。
我が家では、寧ろ、動物、特に飼い猫が1番鈍くて、雷が鳴ろうが、地震が起きようが、知らない人が来ようが、全く気にしない、微動だにしない。昨夜も地震発生時には、何か起きたのかなあ?と少し顔を上げたが、直ぐまた寝てしまったそうだ。(←たまたま父親が見ていた)
自然の脅威に対する動物の勘とやらは期待できないようだ…。
とっくの昔に寝ている時間帯だったが、たまたま(タオルケットで寝ていたら)寒くて目が覚めていたため、地震前に起きていた。
というか、遠方から地震が近付いて来るときって、地面の下からごごごって音が聞こえないかな?
今までこれに賛同してくれたのは一人だけなんだが、どうもS波の前のP波(初期微動)が聞こえている?ようだ。
その相手は愛知だったため、
「岐阜が震源地のときが一番聞こえやすいよねー」(*^-^)
という同意見も貰った。
残念ながら、海の下が震源地のときは聞こえにくい。
阪神淡路大震災のときはかなりよく聞こえた。
というか、大きな地震の前は寝ていても何故か大概目が覚めているので、揺れてから起きることは、先ず、ない。
我が家では、寧ろ、動物、特に飼い猫が1番鈍くて、雷が鳴ろうが、地震が起きようが、知らない人が来ようが、全く気にしない、微動だにしない。昨夜も地震発生時には、何か起きたのかなあ?と少し顔を上げたが、直ぐまた寝てしまったそうだ。(←たまたま父親が見ていた)
自然の脅威に対する動物の勘とやらは期待できないようだ…。
2011年07月24日
三人基準。
今年の大河ドラマは、見たり見なかったりしている。
大奥舞台でヒットしたときもそうだったのだが、女性が主役の場合、男性に比べて「資料」が決定的に不足している。
そのため、ドラマのほぼ9割が分かっている史実に「肉付け」した内容にならざるを得ない。
まあ、要は、なかっただろうドラマをでっちあげるのに腐心する製作にどうしてもなってしまう。
故に、今年の大河を見ていて、1番多いのが、
「うわあ、無理がある…」(; ̄ω ̄)ノ オイオイ…
という感想である。
今日も、死ぬ予定の人にまたまたお江さんが会いに行っちゃってるし。
お江さんが会いに行く=必ず死ぬ、という公式が成り立つくらい、同じネタが繰り返されている。
(これが大坂夏の陣まで続くのか…)
でもって、ようやく、最後の旦那との結婚話が出た。
次回で結婚のようだが、このときの2人の年齢を、現在の年齢になおすと、秀忠16歳、お江22歳。
ドラマでは全くそう見えないが、お江さんの方が6歳も年上、しかも三度目の結婚。
(秀忠も正確には二度目の結婚だが、最初の相手と祝言を上げたのが11歳のとき、しかも直ぐ離縁しているので、実質初婚)
この 二人の仲については、色々と推測がなされている、のだが、歴史上の夫婦仲をはかる基準として「三人基準」というものがある。(これは色々な本を読むうちに、私が勝手につくったものです)
歴史上の王家や何やらは、どの国だろうとどの時代だろうと、政略結婚が「常識」である。
で、その「政略結婚」で結ばれた夫婦の「仲」をはかる基準としてよく用いられるのが、子供の人数である。
今まで読んだ本から考えるに、こう分類されている。
一人→仲が悪い。
二人→微妙だが、イマイチ仲は良くない。
三人→仲が良い。
四人以上→珍しいほどに仲が良い。
政略結婚でも、お義理で一人か二人までは努力するが…という判断が為されているようだ。
勿論、ゼロの場合は問題外である。(ゼロの場合は大概離縁していることが多い)
で、その基準に秀忠とお江を当て嵌めると、まあ、仲が良いと分類できる。
(これが父親の徳川家康になると、三人生ませている女性が…いないんだよなあ)
ドラマではお江さんは家康びいきに描かれているが、これが大坂冬・夏の陣でどう変わるのか。
そのあたりは見てみたいと思っている。
大奥舞台でヒットしたときもそうだったのだが、女性が主役の場合、男性に比べて「資料」が決定的に不足している。
そのため、ドラマのほぼ9割が分かっている史実に「肉付け」した内容にならざるを得ない。
まあ、要は、なかっただろうドラマをでっちあげるのに腐心する製作にどうしてもなってしまう。
故に、今年の大河を見ていて、1番多いのが、
「うわあ、無理がある…」(; ̄ω ̄)ノ オイオイ…
という感想である。
今日も、死ぬ予定の人にまたまたお江さんが会いに行っちゃってるし。
お江さんが会いに行く=必ず死ぬ、という公式が成り立つくらい、同じネタが繰り返されている。
(これが大坂夏の陣まで続くのか…)
でもって、ようやく、最後の旦那との結婚話が出た。
次回で結婚のようだが、このときの2人の年齢を、現在の年齢になおすと、秀忠16歳、お江22歳。
ドラマでは全くそう見えないが、お江さんの方が6歳も年上、しかも三度目の結婚。
(秀忠も正確には二度目の結婚だが、最初の相手と祝言を上げたのが11歳のとき、しかも直ぐ離縁しているので、実質初婚)
この 二人の仲については、色々と推測がなされている、のだが、歴史上の夫婦仲をはかる基準として「三人基準」というものがある。(これは色々な本を読むうちに、私が勝手につくったものです)
歴史上の王家や何やらは、どの国だろうとどの時代だろうと、政略結婚が「常識」である。
で、その「政略結婚」で結ばれた夫婦の「仲」をはかる基準としてよく用いられるのが、子供の人数である。
今まで読んだ本から考えるに、こう分類されている。
一人→仲が悪い。
二人→微妙だが、イマイチ仲は良くない。
三人→仲が良い。
四人以上→珍しいほどに仲が良い。
政略結婚でも、お義理で一人か二人までは努力するが…という判断が為されているようだ。
勿論、ゼロの場合は問題外である。(ゼロの場合は大概離縁していることが多い)
で、その基準に秀忠とお江を当て嵌めると、まあ、仲が良いと分類できる。
(これが父親の徳川家康になると、三人生ませている女性が…いないんだよなあ)
ドラマではお江さんは家康びいきに描かれているが、これが大坂冬・夏の陣でどう変わるのか。
そのあたりは見てみたいと思っている。
2011年06月12日
本読みが滞る。
今年は仕事その他が立て込んでいるせいで、どうも本読みが滞る。
去年は週に1冊くらい読めていたが、今年は1週半で1冊くらいだろうか。
昔読んだ本でまだ書評を書いていないのもあるから、そっちを書いてもいいのだが、手に取ると読み返しを初めてしまいそうだしなあ。(ー'`ー ; )
ちなみに現在読んでいるのは、
街道の日本史30『東海道と伊勢湾』
『縞のミステリー』
の2冊である。
縞のミステリーは推理ものではなく、「縞」模様、特に織りの縞に関する本である。これが世界史や日本史、各地の文化を網羅していてなかなか面白い。所々、『東海道とー』と内容がかぶっていて、相互に補い合うことができている。そんなつもりは全くなく並行して読み始めたのだが、こういう偶然は楽しい。+:。ヾ(o・ω・)ノ゜.+
去年は週に1冊くらい読めていたが、今年は1週半で1冊くらいだろうか。
昔読んだ本でまだ書評を書いていないのもあるから、そっちを書いてもいいのだが、手に取ると読み返しを初めてしまいそうだしなあ。(ー'`ー ; )
ちなみに現在読んでいるのは、
街道の日本史30『東海道と伊勢湾』
『縞のミステリー』
の2冊である。
縞のミステリーは推理ものではなく、「縞」模様、特に織りの縞に関する本である。これが世界史や日本史、各地の文化を網羅していてなかなか面白い。所々、『東海道とー』と内容がかぶっていて、相互に補い合うことができている。そんなつもりは全くなく並行して読み始めたのだが、こういう偶然は楽しい。+:。ヾ(o・ω・)ノ゜.+
2011年05月29日
窓枠でまどろむ猫。
タイトルにある写真を撮っておいたから、今日、ここに載せようと思っていたのだが、父親がwinパソから離れないため、写真の送付ができない…。
自分が使っているmacのノートでは読み込めないので、今まで、
写真を撮る
↓
winで読み込む
↓
メールに添付して自分のmacに送る
↓
サイズを調整して、ブログにアップ
という手間をかけていた。
どうせたくさん写真を撮らないから、とこの手を続けていたのだが、最近、父親がネット上の動画を楽しむようになってしまったため、なかなかwinが空かないのだ。
デジカメに直つなぎできるコードか、カードリーダーを買うべきかなあ…。(ー'`ー ; )
どっちがいいかなあ…。(ー'`ー ; )
考え中。
あと、何の告知もなしに右下でtwitter初めてます。
携帯からつぶやけないため、パソからつぶやいてます。
故に、あんまりつぶやいてません。
今の携帯(五年もの)は、2012年に強制的に買い替えとなるため、それまでパソからつぶやきます。
自分が使っているmacのノートでは読み込めないので、今まで、
写真を撮る
↓
winで読み込む
↓
メールに添付して自分のmacに送る
↓
サイズを調整して、ブログにアップ
という手間をかけていた。
どうせたくさん写真を撮らないから、とこの手を続けていたのだが、最近、父親がネット上の動画を楽しむようになってしまったため、なかなかwinが空かないのだ。
デジカメに直つなぎできるコードか、カードリーダーを買うべきかなあ…。(ー'`ー ; )
どっちがいいかなあ…。(ー'`ー ; )
考え中。
あと、何の告知もなしに右下でtwitter初めてます。
携帯からつぶやけないため、パソからつぶやいてます。
故に、あんまりつぶやいてません。
今の携帯(五年もの)は、2012年に強制的に買い替えとなるため、それまでパソからつぶやきます。
2011年05月08日
節電上等。
我が家の浜岡原発からの距離は約40km。
静岡は基本西風で、浜岡原発に何かあった時は、放射性物質は東(東京方面)へ行く。
そして、原発が中部電力の発電量に占める割合はおよそ25%。
現在、中部電力は他の電力会社と一緒に、約70万キロワットほど東京電力に送電をしている。(昨日の新聞記事より)
浜岡原発を止めると、当然、東京方面への送電も減る、もしくは、ゼロになる。
つまり、浜岡原発を停止した場合、中部電力圏も今後、節電が迫られるが、東京電力圏は更に節電ということになる。
私は、母親がガスを止めて調理場の電気化をしようかなと言い出した時に、反対し、ガスを継続させた。
何でもそうなのだが、手段や方法は、1つに限ってはいけないのだ。
一極集中は足場がもろい。
地元民としては、原発停止おおいに結構。
節電致します。
そして、御前崎市も原発頼みの「一極集中」経済を見直し、土木費が突出している支出をどうにかすべきだろう。(何で、今時あんなに土木費が多いんだ…)
静岡は基本西風で、浜岡原発に何かあった時は、放射性物質は東(東京方面)へ行く。
そして、原発が中部電力の発電量に占める割合はおよそ25%。
現在、中部電力は他の電力会社と一緒に、約70万キロワットほど東京電力に送電をしている。(昨日の新聞記事より)
浜岡原発を止めると、当然、東京方面への送電も減る、もしくは、ゼロになる。
つまり、浜岡原発を停止した場合、中部電力圏も今後、節電が迫られるが、東京電力圏は更に節電ということになる。
私は、母親がガスを止めて調理場の電気化をしようかなと言い出した時に、反対し、ガスを継続させた。
何でもそうなのだが、手段や方法は、1つに限ってはいけないのだ。
一極集中は足場がもろい。
地元民としては、原発停止おおいに結構。
節電致します。
そして、御前崎市も原発頼みの「一極集中」経済を見直し、土木費が突出している支出をどうにかすべきだろう。(何で、今時あんなに土木費が多いんだ…)