2023年03月19日

飯尾連龍後室(お田鶴の方?)は討死したのか?

飯尾連龍後室(お田鶴の方?)は討死したのか?

飯尾連龍後室(お田鶴の方?)には、徳川勢と戦って討死したという話が残る。
城の女主が侍女たちとともに果敢に戦って戦場で討死する。
戦国時代らしい悲劇であるが、実際には、ほぼない出来事である。

引間(ひくま)城の「お田鶴(たづ)の方」の話も、「事実」とは断定できない。
引間城は浜松城の前身で、お田鶴の方は城主飯尾(いのお)連龍(つらたつ)の妻とされる。
連龍については書状他の史料があり、存在が確かめられる。
しかし、その妻(室)については、実在を保証する史料が後世の二次史料に限られる。
女性は系図でしか存在が確かめられない事例も多いため、そこは大きな問題ではない。
問題なのは、⑴彼女の存在が認められない二次史料と、⑵彼女の存在が認められる二次史料の2つがある、ことだ。
どちらも家康が遠江に進出した永禄十一年(1568)十二月十八日の出来事を記す。
この出来事で、家康は引間城を手に入れるのだが、⑴と⑵で入手方法が異なる。
17世紀後半(1673〜84年)に編纂されたとされる『浜松御在城記』が両方の説を併記するので、下にそれぞれの概要を書いておく。
(参照ー国立公文書館『浜松御在城記』:https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/result?DEF_XSL=default&IS_KIND=summary_normal&IS_STYLE=default&DB_ID=G9100001EXTERNAL&GRP_ID=G9100001&IS_START=1&IS_TAG_S1=all&IS_NUMBER=100&LIST_TYPE=default&IS_LIST_ON_OF=off&LIST_VIEW=&ON_LYD=on&IS_SORT_KND=asc&IS_SORT_FLD=sort.tror%2Csort.refc&IS_KEY_S1=%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E5%BE%A1%E5%9C%A8%E5%9F%8E

⑴飯尾連龍室が不在
 家康が遠江の安間村に陣を張っているとき、引間城の江間安芸守が江間加賀守を殺害したと、加賀守の家来が知らせてきた。その家来小野田彦右衛門が江間安芸守を切り殺したと急いで伝えに来たので、家康は早速引間城に乗り込んで、事態を収束させた。
安芸守は甲斐の武田に通じ、加賀守は家康に通じていたため、喧嘩となったのだ。加賀守の子孫は紀州の頼宣に仕えた。

⑵飯尾連龍室が存在
 一説に、飯尾豊前守の後室(未亡人)が浜松を任されていた。家康は後藤太郎左衛門と松下與右衛門を使わして、城を開け渡せば扶持や家来については保証しようと伝えたが、後室は承知しなかった。徳川勢が攻めると、味方の手勢三百人が手負死人となり、城の兵も二百余人討たれた。後室も侍女を左右に引き連れて出て、十八人がひとつ所で討死したと、板倉家の記はある。しかし、ある人の記には、これは大河内兵庫助の合戦のことで時代も違うとある。手負死人が三百もいれば、名のある人も十や二十あまりが討死しているべきだ。ことに乗龍(連龍?)の北の方は、今川家の人なので人質として駿河にいるべきだ。もしくは、(江間)安芸守の妻などのことだろうか。


⑴は引間城を任されていた飯尾連龍の家臣が内部分裂を起こし、それに乗じて家康が城を接収したとなっており、⑵では、下ることをよしとしない飯尾連龍後室が徳川勢と戦って討死した、という内容である。
⑵については、文章中に疑問が提示されており、江戸時代から説として疑問視されていたのが分かる。
「板倉家の記」には、この後室討死の話があると記してあるが、自分が確認ができた板倉家の家譜の類いにはなかったので、この「板倉家の記」がどの板倉家の記なのかは不明。
また、続く「ある人の記」は、ある人が特定できないため、確認ができない。
同じ「家康による引間城の接収」でありながら、⑴は家臣しか出てこず、⑵では後室にしか出番がないなど、話の展開が全く違う。
これを他の史料で見てみると、次のようになる。

⑴と似た展開を載せる史料
新城市誌資料10『菅沼家譜』ーhttps://dl.ndl.go.jp/ja/pid/3010611/1/1(国会図書館)
菅沼主水の「貞享書上」
江間加賀守の子孫の「貞享書上」他ー朝野旧聞裒藁46https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000048536&ID=M2018042315173125538&TYPE=(国立公文書館)

⑵とほぼ同じ展開を載る史料
「曳馬拾遺」ーhttps://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/2213005100/2213005100200010/m002/
「官本三河記」
「三河記大全」ー朝野旧聞裒藁46https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000048536&ID=M2018042315173125538&TYPE=(国立公文書館)

それぞれの史料について簡単に説明すると、以下の通りになる。

「朝野旧聞裒藁(ちょうやきゅうぶんほうこう)」は、江戸幕府が1819〜1841年に編纂した徳川氏の事績を集めた史料集。
「貞享(ていきょう)書上」は、江戸幕府が徳川家と縁のある諸大名や庶民に1683〜1684年の間に提出させた古文書・家伝類。
『菅沼家譜』は、家康の遠江侵攻に従った菅沼家(菅沼定盈の系統)の家譜。
貞享書上を提出した菅沼主水はその子孫。

菅沼家の記録では、江間安芸守と江間加賀守は互いに陣を構えて戦っていて、加賀守が戦で殺害されている。
定盈(さだみつ)の功に触れるなど菅沼家よりの部分があり、小野田彦右衛門が家康に知らせる場面がない、などのオリジナリティがある。
対して、紀州徳川家に仕える江間加賀守の子孫は、「浜松御在城記」の「⑴」とほぼ同じ内容の貞享書上を提出している。
つまり、先祖が関わった家の史料では、⑴の系統を採用しているのだ。

対して、「⑵」を記す史料は『浜松御在城記』か、共通する史料を参照しているらしく、内容が類似する。
『三河記大全』という書物では脚色が増える差分はあるが、展開は同じ。
山鹿素行の『武家事紀』(1673年の序文あり)は、⑵を採用して、後室と十八人の女性の討死の部分のみを載せる。

⑴は内部分裂で、⑵は徳川との戦いである。
⑴と⑵の妥協をはかったのが、『浜松御在城記』の「もしくは、安芸守の妻などのこと」という部分だ。

では、どうして、同じ出来事に全く別の話が残ったのか。
原因は、浜松城の丑寅の西の方角に「御台塚」という場所があったためではないだろうか。
「御台=御台所=妻」+「塚=墓」=そこそこ身分の高い女性(妻)の墓があるのだから、そういう女性がここでなくなったのだろう、とたやすく連想が働く。
現在、この「御台塚」は存在せず、正確な場所は分からない。
そのあたりは、椿屋敷とも呼ばれていたらしく、江戸時代の浜松城図にも「ツバキ」と記されている部分がある。
「御台塚」「椿屋敷」という地名から、⑵のような「物語」ができた可能性はある。
2022年に地元の徳川家康関連の伝承を調べたとき、かなり多かったのが「地名や名字を説明するための家康伝承」であった。

「この地名は家康が○○したので、こういう地名になりました」
「この名字は家康に○○してあげたのでいただきました」

というパターンである。

御台塚がある。
椿屋敷という地名だ。
もともと引間城は飯尾家の城であった。
家康が遠江に来たときに現地勢力と争いがあった。

この複数の条件から、飯尾後室討死の話が作られても不思議はない。

また、『浜松御在城記』が指摘するように、実際に引間(曳馬)城は「大河内兵庫助=大河内貞綱(さだつな)」により占拠された歴史がある。
これは1512年の話で、今川氏と斯波氏の争いが背景にある。
今川と斯波は遠江をめぐって対立しており、今川氏に引間荘代官(曳馬城)を任されていたのが飯尾賢連(かたつら,連龍の祖父)であった。
大河内貞綱は1516年にも飯尾を追い出して引間城を占拠&籠城をするが、翌年、今川氏親(うじちか,義元の父)により城は落とされ、貞綱は自害した。
「御台塚」がこちらの関連からできた可能性はあるだろう。

⑴と⑵を比較すると、⑵の方が伝承性が高いと思う。
引間城は、⑴内部分裂して家康の所有となったのか、それとも、⑵徳川が飯尾連龍の後室と戦って手に入れたのか。
どちらも確たる資料はない。
ただ、⑴と⑵の2つを示す「史料」があり、これにより2つの説ができる。
そして、全く別の展開を示す史料が2つある以上、飯尾連龍後室の討死は「事実」とは断言できない。
飯尾連龍後室の討死はあくまでも説の一つに過ぎない。
これだけは確かなことだ。
posted by アリノリ at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 徳川家康関連
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